ヒッピアスの暴政の打倒へと動くアルクメオン家の人々とスパルタ王クレオメネス1世によるアテナイの解放

前回書いたように、アテナイにおいて紀元前561年にはじまったペイシストラトスの僭主政は、その後、彼の息子であったヒッピアスへと引き継がれていくことになり、

新たにアテナイの僭主となったヒッピアスは、当初は産業の育成詩人や芸術家の保護を行うといった穏健的な統治を進めていくことになるのですが、

その後、アテナイの青年貴族によって引き起こされた暗殺未遂事件をきっかけとして、二代目の僭主の座についていたヒッピアスの統治のあり方は大きな変容を見せていくことになります。

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ヒッピアスの暴政とペルシア帝国の暗躍

紀元前514年僭主政の打倒を目指して立ち上がった民主政の信奉者であったとも伝えられているアテナイの二人の青年貴族によって引き起こされた暗殺未遂事件によって自らの弟であったヒッパルコスを失うことになったヒッピアスは、

その後、再び自分が襲われて弟のように暗殺されることを恐れて猜疑心を深めていくことによって、自らの統治に反対する人々への監視と弾圧を強めて、数多くの市民たちを処刑していくという暴君へと変貌していくことになります。

そして、

こうしたヒッピアスの暴政に対する不満が高まっていくことによって市民たちの支持を完全に失っていくことになると、ヒッピアスはそれまで以上にアテナイ市民たちへの軍事力による弾圧を強めていくことになり、

市民たちによる反乱を恐れるヒッピアスは、

ギリシアの東方に位置する大国にあたるペルシアの王であったダレイオス1世のもとへと使者を遣わし、アテナイにおける自らの支配を確かなものとするために、ペルシア帝国からの軍事的な支援を要請することになります。

そして、

こうして暴君ヒッピアスの手によって祖国が外国の軍隊によって占領されかねないという国家そのものの存亡の危機へと立たされることになったアテナイ市民たちは、

ヒッピアスの父であった僭主ペイシストラトスによって自らの祖国であったアテナイから追放されて亡命貴族となっていたアルクメオン家の人々にこうした窮状を訴えて助けを求めていくことになるのです。

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アルクメオン家の人々とスパルタ軍によるアテナイの解放

アルクメオン家は、ギリシア神話に登場するトロイア戦争におけるギリシア軍の名将の一人であった英雄ネストルの子孫ともされるアテナイ随一の名門貴族にあたり、

こうしたアテナイにおける市民たちの窮状祖国の危機を目にしたアルクメオン家の人々は、ヒッピアスの暴政を打倒するためにアテナイ市民たちと共に立ち上がることを決意することになります。

財力と政治力に長けていた名門貴族の一家であったアルクメオン家の人々は、そうした自分たちの長所を活かして、

まずは、

古代ギリシアにおける信仰の中心地であったデルポイへと使者を遣わして、この地でアポロンの神託を下す役目を担っていた巫女たちへと賄賂を贈り、彼らにとって有利な神託が下される下準備を整えたうえで、

アテナイと並ぶ古代ギリシアの強国にあたるスパルタの王であったクレオメネス1世ヒッピアスの暴政を打倒するための援軍を要請することにします。

そして、その後、

アルクメオン家の人々の策略通りに、アテナイへの出陣をめぐってデルポイの神託を求める使者を立てたクレオメネス1世は、

デルポイの巫女からアルクメオンの者たちを助けてアテナイを解放すべしという託宣を得ることによって、ヒッピアスが支配するアテナイへの侵攻を決断することになります。

こうして、ペルシア帝国からの援軍が到着する前に、

クレオメネス1世が率いる古代ギリシア世界における最強の陸軍と称されたスパルタ軍と戦うことになったヒッピアスは、最終的にこの戦いに敗れて自らが軍事支援を要請していたペルシアへと逃亡することになり、

紀元前510年ヒッピアスの追放によって暴君からアテナイを解放することに成功したスパルタ王クレオメネス1世と、アテナイの名門貴族であったアルクメオン家の人々は、アテナイの市民たちから熱烈な歓迎をもって迎えられることになります。

そして、その後、

こうしたアテナイにおける僭主政の打倒に大きく貢献した名門貴族にあたるアルクメオン家の人々の中からは、のちに、

陶片追放や10部族制といった政治改革によってアテナイの民主政の基盤となる政治体制を確立していくことになるクレイステネスが現れることになるのですが、

その一方で、

アテナイを追われて東方の大国であるアケメネス朝ペルシアへと逃げのびていくことになった暴君ヒッピアスは、その後も再びアテナイの僭主として返り咲く機会を虎視眈々とうかがい続けていくことになり、

こうした僭主政の時代に新たに生じることになったペルシア帝国との因縁は、その後の古代ギリシア世界全体を巻き込む大戦争となるペルシア戦争へとつながっていく遠因の一つともなっていくことになるのです。

・・・

次回記事:アルクメオンの血の穢れとイサゴラスの台頭をめぐるクレイステネスのアテナイからの追放と寡頭派の粛清後のアルコンへの就任

前回記事:ヒッピアスの弟ヒッパルコスの暗殺をめぐる二つの物語:美青年をめぐる愛憎の物語と民主政を信奉する二人の青年烈士の美談

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