ミケーネ文明の成立から海の民とドーリア人の侵入による滅亡までの歴史と線文字Bによる古代ギリシア世界の文字文化の定着

前回書いたように、古代ギリシアエーゲ文明においては、まずはエーゲ海の中央部において紀元前3000年頃からキクラデス文明と呼ばれる古代文明が栄えたのち、

それに続いて、紀元前2600年頃からはトロイア文明が、紀元前2000年頃からはミノア文明がそれぞれに全盛期を迎えていくことになるのですが、

こうしたエーゲ海の南部に位置するクレタ島を中心に広がった地中海文明であるミノア文明の影響を受けていくなか、

紀元前1600年頃の時代になると、エーゲ海に面するギリシア本土においても、ミケーネ文明と呼ばれるギリシア人を担い手とする新たな文明が興隆していくことになります。

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ミケーネ文明の成立と線文字Bの開発による文字文化の定着

ミケーネ文明の中心地とクレタ島やトロイアとの位置関係インド・ヨーロッパ語族の一派にあたるギリシア人たちがはじめてギリシア半島に定住していくことになったのは紀元前2000年頃の時代であったと考えられ、

この時期にバルカン半島を南下してギリシア半島へと入っていったと考えられるアカイア人と呼ばれる古代ギリシア人の一派は、

その後、ミケーネティリンスといったギリシア南部に位置するペロポネソス半島の各地において、数多くの都市国家を建設していくことになります。

そして、

こうしてペロポネソス半島の各地に定住していくことになった古代ギリシア人たちは、エーゲ海における先進文明であったミノア文明海上貿易などを通じて交流を結んでいくことによって、工芸技術芸術などといった文明や文化の面において大きく発展していくことになり、

紀元前1600年頃になるとミケーネティリンスといった都市国家を中心ミケーネ文明と呼ばれる独自の文化圏を形成していくことになります。

そして、

こうしたギリシア本土で発展した最古の文明であるミケーネ文明においては、ミノア文明において用いられていた線文字Aと呼ばれる文字が簡略化され、文字体系が法則的に整備された線文字Bと呼ばれる文字が新たに開発されて用いられていくことによって、

古代ギリシア世界全体へと文字文化が定着していくことになっていったと考えられることになるのです。

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ミケーネ文明によるエーゲ海の支配と海の民とドーリア人の侵入による滅亡

そして、その後、紀元前1200年頃の時代になると、

こうしたミケーネ文明の担い手となった古代ギリシア人の一派であるアカイア人たちは、ギリシア本土から海を越えて支配領域を広げていくことになり、

トロイア文明ミノア文明といったエーゲ海の島々や沿岸地域に点在していた先進文明を次々に滅ぼしていくことによってエーゲ海全域へとその勢力を大きく拡大していくことになります。

しかし、

こうしてエーゲ海の支配者となったミケーネ文明によってもたらされたギリシア世界の繁栄はそれほど長く続くことはなく、

紀元前1150年頃の時期になると、

地中海に突如として現れた民族系統不明の集団である「海の民」と呼ばれる民族集団からの襲撃を受けることによって、

ミケーネティリンスといった文明の中心地であった都市の多くが破壊されてしまうことになり、ミケーネ文明急速に衰退へと向かっていくことになります。

そして、さらにその後、

こうした海の民によるギリシア本土への襲撃と時を同じくして、ギリシア北方の山岳地帯からギリシア本土へと侵入してきたドーリア人たちによって、

ペロポネソス半島にあったアカイア人の都市国家大部分が征服されてしまうことになり、

こうした海の民ドーリア人による襲撃を相次いで受けていくことによって、古代ギリシア人最初の文明であったミケーネ文明は滅亡の時を迎えてしまうことになるのです。

そして、その後の古代ギリシア世界においては、

ミケーネ文明において用いられていた線文字Bの使用も途絶え高度な技術文字文化が失われてしまうことによって、400年間にもわたる暗黒時代が続いていくことになるのですが、

こうした400年にもおよぶ歴史的資料がほとんど存在しない暗黒時代の後には、ドーリア人の襲撃による破壊を免れて生き残っていったアカイア人の一派にあたるイオニア人によって建設された都市国家であるアテナイや、

ペロポネソス半島に定住したドーリア人によって建設された都市国家であるスパルタなどといったギリシア人たちの新たな都市国家を中心として、新たな文明の夜明けが訪れることになるのです。

・・・

次回記事:トロイアとイリアスの違いとは?古代ギリシア神話におけるトロース王とイーロス王の父と子の物語

前回記事:ミノア文明の成立から滅亡までの歴史とエヴァンズによるクノッソス宮殿の発掘とギリシア神話における巨大な迷宮

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