古代ギリシア最古の文明であるキクラデス文明の成立と現代美術のキュビスムの発想へと通じる抽象的な彫刻の様式美

古代ギリシアにおける最古の文明としては、地中海の北東部分を占める海域にあたるエーゲ海の島々からギリシア本土や現在のトルコが位置するアナトリア半島の沿岸地域へと広がっていくことになったエーゲ文明の名が挙げられることになりますが、

こうしたエーゲ文明と呼ばれる古代文明には、トロイア文明ミケーネ文明ミノア文明と呼ばれる三つの文明のほかに、

こうした古代ギリシアの三文明よりもさらに古い時期に存在していたと考えられるキクラデス文明と呼ばれるエーゲ海の島々において広がっていた古代文明の名も挙げられることになります。

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ギリシア最古の文明であるキクラデス文明の成立とミノア文明への展開

20200419① キクラデス文明の中心地とギリシア本土やクレタ島との位置関係

キクラデス文明と呼ばれる文明は、紀元前3200年頃~紀元前1050年頃までエーゲ海の中央部に点在する島々にあたるキクラデス諸島において栄えていたとされている古代文明にあたり、

こうしたキクラデス文明と呼ばれる文明は、ギリシア本土で栄えたミケーネ文明や、クレタ島のクノッソス宮殿を中心に栄えたミノア文明(クレタ文明)よりもさらに古い起源を持つ古代ギリシアの最古の文明としても位置づけられることになります。

キクラデス諸島は、最大の島にあたるナクソス島や、キクラデス文明の中心地となった島の一つにあたると考えられているケロス島シロス島デロス島といった島々を中心に、全部で220以上もの島々によって構成されていて、

それぞれの島の人口はせいぜい数千人の規模であったと考えられているものの、多数の島に住む島民たちが協力して航海を行っていくことによって、エーゲ海全体へと広がる大規模な文明圏を形成していくことになっていったと考えられることになります。

こうしたキクラデス文明と呼ばれる文明は、もともと紀元前4000より前にギリシア本土アナトリア地方においてすでに成立していたと考えられている新石器文化キクラデス諸島を中心とする島々において独自の様式へと発展していったものであると考えられていて、

キクラデス文明においては、銅細工などの金属加工技術もある程度発展していたと考えられるほか、詳しくは後述するように真っ白な大理石でつくられた抽象的な彫刻などに代表される優れた芸術文化も発展していくことになります。

そして、その後、

こうしたキクラデス文明と呼ばれる古代文明は、紀元前2000年頃からキクラデス諸島のさらに南に位置するクレタ島を中心に大きく発展していくことになったミノア文明に吸収されていく形で、徐々に文明としての独自性を失っていくことになり、

最終的には、紀元前1200年頃ころからはじまるギリシア本土からのドーリア人を中心とするギリシア人の侵入と移住の影響を受けることによって、

エーゲ文明に分類されるその他の古代文明と共に、歴史の舞台からは完全にその姿を消していくことになっていったと考えられることになるのです。

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キクラデス文明の大理石の彫刻におけるキュビスムなどの現代美術へと通じる抽象的な様式美

キクラデス文明の彫刻

(左図:Head of woman-Ma 2709:出典:Wikimedia Commons:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Head_figurine_Spedos_Louvre_Ma2709.jpg Head from the figure of a woman, Spedos type, Early Cycladic II (2700 BC–2300 BC), Keros culture. Credit: Jastrow, 2006)

(右図:Cycladic idol large retouched:出典:Wikimedia Commons:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cycladic_idol_large_retouched.jpg Cycladic idol, parian marble; 1,5 m high (largest known example of cycladic sculpture. From Amorgos, Early cycladic II period (Keros-Syros culture), 2800-2300 BC, Spedos variation. National Archaeological Museum of Athens. Credit: Prof saxx,2008)

そして、

こうしたキクラデス文明と呼ばれるエーゲ海の中央部において栄えた古代文明においては、上記の二つの彫刻などに代表されるようにパリアン大理石と呼ばれる真っ白な上質の大理石によってつくられた抽象的な様式美を持つ彫刻数多く製作されていて、

上記の二つの彫刻はそれぞれ、左側の彫刻は紀元前2700年~2300年頃につくられた女性の顔の彫刻、右側の彫刻は紀元前2800年~2300年頃につくられた高さが1.5メートルにもおよぶ等身大の女性の彫刻であると考えられています。

そして、

こうした極度に洗練された抽象的な様式美を持つキクラデス文明における大理石の彫像たちの姿からは、古代人たちが持つ独特の精神性の一端に触れることができるのと同時に、

形態の極端な単純化や抽象化などを一つの特徴とするキュビスムなどの現代美術の発想にも通じていく人間の精神における普遍的な美意識の姿を見いだしていくこともできると考えられることになるのです。

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