ドーリア人の侵入とミケーネ文明の滅亡による暗黒時代の到来、古代ギリシア人の民族移動の第二の波
前回書いたように、古代ギリシア人を構成していくことになる主要な民族集団のギリシア半島への移動と定着は、
まずは、その第一の波として紀元前2000年ごろにはじまるアカイア人と呼ばれるギリシア人の一派のペロポネソス半島への移動とミケーネ文明の成立を中心に進んで行くことになります。
そして、その後、ギリシア人の民族移動の第二の波としてドーリア人と呼ばれるギリシア人の一派が新たに北方から現れて古代ギリシアの世界を席巻していくことになります。
ドーリア人の侵入とミケーネ文明の滅亡による暗黒時代の到来
そうすると、まず、
こうしたドーリア人あるいはドーリス人と呼ばれる北方の地域に居住していたギリシア人の一派が新たに民族移動を開始していったのは紀元前1200年ごろの時代であったと考えられることになります。
紀元前1200年ごろの時代になると、それまでギリシア北方の山岳地帯やマケドニアあるいはイピロスと呼ばれる現在のギリシアとアルバニアの国境地帯付近などに点在していたと考えられるドーリア人の集団が新たにギリシア半島を南下していくことになり、
こうして古代ギリシア人の第二の波にあたる新たな民族移動を開始したドーリア人たちは、ギリシア半島の先住民にしてギリシア人による最古の文明にあたるミケーネ文明の担い手でもあったアカイア人たちによって建設されたギリシア諸都市を次々に攻略していくことによってその版図を大きく拡大していくことになります。
そして、
こうした陸上からのドーリア人の侵入を受けると同時に、海上からも海の民と呼ばれる詳しい民族系統については不明の地中海諸種族の襲撃を受けることによって、急速に衰退していくことになったミケーネ文明はついに滅亡の時を迎えてしまうことになり、
それまでの時代にミケーネ文明において形成された陶器の高度な製作技術などに見られるような様々な文明の利器が失われてしまうと同時に、
ミケーネ文明が伝播した諸地域において用いられていた線文字Bと呼ばれる文字も使用されなくなることによって文字文化も失われていくことになります。
そして、その後、
こうしたドーリア人の侵入と海の民の襲撃を通じてミケーネ文明が滅亡してしまった後の紀元前1200年ごろから、ギリシア半島において都市国家を中心に新たな文明が芽生えていくことになる紀元前800年ごろまでの期間は、
文字で記録された歴史資料を通じてその時代のことを詳しく知るすべのない400年間にもおよぶ暗黒時代が続いていくことになっていったと考えられることになるのです。
アッティカ半島でのアテナイの存続とドーリア人によるスパルタの建設
しかし、その一方で、
こうしたギリシア半島におけるドーリア人の侵入によって、それまでギリシア半島に広く居住していた先住民にあたるアカイア人やその分派にあたるイオニア人たちの諸都市のすべてが滅びてしまったというわけではなく、
例えば、
ギリシア半島の南西部に位置するアッティカ半島に居住するアテナイ人たちや、ペロポネソス半島の中部にあたるアルカディア地方に居住していたアルカディア人たちの一部は、
こうしたドーリア人による侵攻を受けても自らの故地にとどまり続けて、その後、古代ギリシア世界において新たな文明の夜明けの時が訪れるまで静かに命脈を保ち続けていくことになります。
そして、その一方で、
ギリシア半島を南下していったのちギリシア半島の南部に位置するペロポネソス半島の全域にまでその版図を広げていったドーリア人たちは、この地でスパルタなどに代表される自分たちの都市国家を建設していくことになり、
ミケーネ文明が滅亡してから400年ほどの時が過ぎた紀元前800年ごろの時代になると、こうしたアテナイやスパルタそしてテーバイやミレトスなどといったギリシア人の都市国家を中心として、
ギリシア神話やギリシア哲学などとしてその後の古代ローマの時代から中世ヨーロッパを経て現在の時代にまで伝えられていくことになる古代ギリシア文化が新たに形成されていくことになっていったと考えられることになるのです。
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