ゲルマン民族の南下とローマ帝国を蝕むアメーバの触手、ゲルマン民族興亡史⑦
今回は、
前回までの、紀元前1世紀、
カエサルの『ガリア戦記』の時代から
いったん少し時代をさかのぼって、
再び、
ゲルマン民族の動きに焦点を当てて、
ケルト人の黄金時代の頃からの
その勢力範囲の拡大の仕方を
追っていきたいと思います。
紀元前400年頃のゲルマン民族
紀元前400年、
ヨーロッパが
ケルト人の黄金時代を迎えていた時、
そのさらに北方の最果ての地、
スカンジナビア半島(現在の北欧、ノルウェーやスウェーデン)や
ユトランド半島(現在のデンマークが位置する)では、
痩せた土地で
寒さに耐え忍びながら
ゲルマン民族の諸部族たちが
静かにその命脈を保ち続けていました。
ゲルマン民族は、
前500年頃までは、
その本拠地である
スカンジナビア周辺に定着していたのですが、
その後、
紀元後4世紀頃から始まる、本格的な
民族大移動期のような激しい勢いではないものの、
少しずつ、ゆっくりと
浸透していくように、
その勢力範囲を
東ヨーロッパ北部へと広げていくようになります。
ローマ帝国を蝕むアメーバの触手
紀元前1世紀頃になると、
ゲルマン民族は、
競合民族である
ケルト人の居住地域を圧迫したり、
ローマの辺境地帯にも出没したりするようになり、
しばしば、その
国境を侵すようになります。
ゲルマン民族たちは、
アメーバがその触手を伸ばすように、
ゆっくりと、しかし、
じわじわと確実に
その活動領域を広げていったのです。
ケルト人が
紀元前1世紀頃にローマに征服され、
ローマ帝国の属州に組み入れられると、
民族としての
言語や固有な文化も失って
比較的素直に
ローマ人化していったのに対し、
ゲルマン民族は、
言語や文化といった
民族としての固有性を
保持したまま
ローマ帝国の
社会構造の中に入り込んでいきます。
ラティフンディウムとコロナ―トゥスと傭兵
ローマ帝国の
属州に組み入れられた
ゲルマン民族の部族民たちは、
ローマ人の大地主のもとに、
被支配民として仕えることになります。
そもそも、
中小自営農民の没落以降、
古代ローマにおける
農業生産は、
ラティフンディウムと呼ばれる、
大土地所有者である貴族が、征服戦争で手に入る、
安価な多数の奴隷を
使い捨てるように酷使して働かせる経営方式
で成り立っていたのですが、
紀元前1世紀に
ガリア戦争が集結して、
ローマ帝国にとっての
フロンティア(開拓の可能性を秘めた辺境地帯)
が消滅し、
新たな奴隷労働力の
供給源がなくなると、
安価な多数の奴隷の使い捨て
によって成り立っていた
ラティフンディウムでは、もはや
属州の農業経営が立ち行かなくなっていきます。
そこで、
ローマ人の大土地所有者たちは、
奴隷ではなく、
没落した中小自営農民や
ゲルマン人などの移民を
農業労働力として受け入れ、
財産権や市民権といった
一定の待遇を保証したうえで、
小作人として働かせる
コロナートゥスと呼ばれる
農業経営制度に移行していくようになります。
ゲルマン民族は、この
コロナートゥスという
農業制度のなかで、
表面上は、
大土地所有者である
ローマ人貴族に
小作人として仕えながら、
ローマの属州の内部で、
部族民の数を増やし、
一定の財産まで蓄えていきます。
そして、さらに、
その一部は、
傭兵として帝国の防衛や
内紛にも加担して、
ローマ帝国の中枢にまで潜り込み、
その一方で、別の一部は、
地方のローマ人大地主
と結託して、
その政治的・軍事的自立化を助けて
帝国の力の分散を進めていきます。
このように、
ローマ帝国の内部に入り込んだ
ゲルマン民族たちは、
ローマの社会構造の中に組み込まれていきながらも、
そこに完全に同化しきることはなく、
むしろ、
ローマの社会の仕組みを利用して、
自らの力を蓄えていき、
ゆっくりと、しかし、確実に、
ローマ帝国を、
その内側から蝕んでいったのです。
そして、彼らは、
まだローマ帝国の屋台骨がしっかりしていて
利用価値があるうちは、
内部ではその社会構造を蝕みながらも、表面上は、
傭兵や同盟軍として、
帝国を助けもするのですが、
いよいよ、
帝国の柱が朽ちて、
崩れ落ちはじめ、
今まで、
永遠不変で絶対的であるかにに見えた
ローマ帝国の権威、国境線といった、
帝国の外観までもが大きく揺らぐようになると、
この瀕死の帝国
に最後のとどめを刺して、
自らが蝕んできた
宿主を食い殺し、
みずからが
ローマに取って代わって
この広大な帝国の支配者になろうと志すようになるのです。
・・・
以上、ここまでが、
「ゲルマン民族興亡史」シリーズにおける
ゲルマン民族大移動が
本格的に始まる前の
ヨーロッパ情勢と、
ローマ、ケルト人、ゲルマン民族といった、
各勢力の興亡と盛衰の流れです。
そして、ここからいよいよ、
フン族の移動を皮切りに、
大きく動き出し、
西ローマ帝国の滅亡をもって
クライマックスを迎える
ゲルマン民族大移動の
壮大な叙事詩がはじまることになるのです。
・・・
このシリーズの前回記事:
ガリア戦争の敗因と戦後のケルト人の行方、ゲルマン民族興亡史⑥
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