聖週間と受難週とは何か?キリスト教のイエスのエルサレム入城から十字架の死そして復活日の前日までの七日間の具体的な意味
キリスト教において、イエス・キリストが十字架の死から復活したとされる復活日の前日までの最後の一週間は、
カトリックにおいては聖週間、プロテスタントにおいては受難週といった言葉としてそれぞれ呼び表されていくことになります。
それでは、
こうしたキリスト教において聖週間あるいは受難週と呼ばれるイエス・キリストが十字架の死からの復活をとげるまでの最後の一週間のうちに含まれている日曜日から土曜日までの七日間は、
キリスト教においてはそれぞれ具体的にどのような意味を持った日として位置づけられていると考えられることになるのでしょうか?
聖週間における日曜日から土曜日までの七日間の聖書の記述に基づく具体的な意味
マタイによる福音書やヨハネによる福音書といった新約聖書において記されているイエスの十字架の死までに起こった一連の出来事についての記述に基づくと、
こうした聖週間あるいは受難週と呼ばれるイエス・キリストが十字架の死からの復活をとげるまでの最後の一週間にあたる日曜日から土曜日までの七日間は、
それぞれ具体的には以下のような意味を持った日として位置づけられていくことになると考えられることになります。
・・・
まず、
こうした聖週間と呼ばれる一週間のうちの最初の日にあたる日曜日は、
キリスト教においては「枝の主日」あるいは「棕櫚の日」とも呼ばれていて、新約聖書の記述においては、イエス・キリストのエルサレムに入城を記念する日として位置づけられることになるのですが、
この日には、棕櫚(シュロ)や棗椰子(ナツメヤシ)などの木の枝を手にとってかざすことなでを通じてキリストのエルサレム入城を歓迎する儀式が行われていくことになります。
そして、その次の日の月曜日は、
新約聖書の記述においては、イエスとユダヤ人の祭司長たちとの間でイエスの権威をめぐる神学的な問答が行われた日として位置づけられていて、
この日の議論に敗れたユダヤ人の祭司たちは、イエスに対する恨みと妬みを募らせていくことによって、イエスを偽りの罪によって十字架へとつける決意を固めていくことになります。
また、その次の日の火曜日は、
新約聖書の記述においては、イエスが弟子たちに対して天の国がどのようなものであるかということを「十人のおとめ」や「三人の僕たち」といった様々なたとえ話を用いて語り伝えた日、
その次の日の水曜日は、
新約聖書の記述においては、イエスの十二人の使徒のうちの一人であったユダが銀貨三十枚を受け取る代わりにユダヤ人の祭司長たちのもとへと引き渡すという契約を結ぶことによってイエスを裏切ることを心に決めた日としてそれぞれ位置づけられることになると考えられることになるのです。
そして、その次の日の木曜日は、
キリスト教においては「聖木曜日」あるいは「洗足木曜日」と呼ばれていて、新約聖書の記述においては、イエスと弟子たちがパンとブドウ酒とを手に取って最後の晩餐を行ったのち、
そうした弟子たちを通じたすべての人々に対するイエスの深い愛の証として、イエス自らの手で弟子たちの足を洗うという行いが示さされた日として位置づけられることになります。
そして、その後の聖書の記述においては、
その次の日の金曜日、
キリスト教においては「聖金曜日」と呼ばれている日に、イエス・キリストは十字架へとかけられて死を遂げることになり、
この日は、人々がそうしたキリストの十字架の死を嘆き悲しんで深い哀悼の意を示す悲しみに満ちた聖なる日として位置づけられていくことになるのに対して、
その次の日の土曜日、
キリスト教においては「聖土曜日」と呼ばれている聖週間の最後の日にあたる日に、イエス・キリストは岩の墓の中で眠りについたのち、
その次の日の日曜日の復活祭の日において十字架の死からの復活を成し遂げていくことになったということが語られていると考えられることになるのです。
・・・
次回記事:キリスト教における聖週間と受難週はいつ頃の時期にはじまりいつ頃の時期に終わるのか?グレゴリオ暦における復活日との関係
前回記事:キリストが死んだ聖金曜日が英語でグッド・フライデーと呼ばれる理由とは?聖書を意味するグッド・ブックとの関係
「新約聖書」のカテゴリーへ
「宗教・信仰・神秘主義」のカテゴリーへ
「語源・言葉の意味」のカテゴリーへ