信と知の領域の区分とカントの批判哲学における理論理性と実践理性の領域の区別
カントの主著である『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』と題される三つの批判書のうちの二番目に位置づけられる『実践理性批判』においては、
『純粋理性批判』において示された理論理性に基づく認識論の体系に対して、実践理性に基づく倫理学の体系が提示されていくことになるのですが、
こうしたカントの批判哲学において示されている理論理性と実践理性の働きにおける認識と実践という二つの理性の領域における区分のあり方は、
さらに、
人間の知的活動や心の働きのあり方の領域における信と知の領域の区分の問題へも直接的に結びついていくことになると考えられることになります。
カントの批判哲学における理論理性と実践理性の領域の区別
カントの『実践理性批判』の序文においては、この批判書が書かれた目的は、
「(心的機能の総体としての)心に備わる二つの能力、すなわち認識能力と欲求能力とのそれぞれのア・プリオリな原理※が発見されて、これらの原理の使用条件、範囲および限界が規定され、こうして学としての体系的な理論哲学ならびに実践哲学に、確実な根拠が与えられること」※にあると記されていますが、
※カントの批判哲学においてア・プリオリ(a priori)という言葉は、先験的な形式、すなわち、経験に対して時間的にではなく、論理的に先立つ認識形式や実践形式のことを意味する概念として用いられている。
※カント『実践理性批判』波多野精一・宮本和吉・篠田英雄訳、岩波文庫、34ページ
このように、
カントの批判哲学における一連の議論においては、人間の心における知性的な働きのあり方が、
認識能力と欲求能力、すなわち、理論理性における論理的な認識のあり方と、実践理性における道徳的な実践のあり方へと区分されたうえで、
両者の理性の働きの使用条件や、両者の原理が適用される正当な範囲と限界のあり方の画定が行われていくことになると考えられることになります。
そして、
そうした理論理性と実践理性のそれぞれの理性の働きが及ぶ範囲と限界の画定作業のなかで、
人間の心の内に存在するア・プリオリな道徳的な意志に基づく道徳的な実践行為の根拠として位置づけられる神の存在は、理論理性ではなく実践理性における探求の範囲の内に位置づけられる存在として捉えられることによって、
カントの批判哲学においては、
神の存在は、理論理性に基づく論理的な証明によってではなく、実践理性に基づく道徳的な要請によってその存在の必然性が解き明かされていくことになるのです。
理論理性と実践理性の領域の区別に基づく信と知の領域の区分
以上のように、
こうしたカントの批判哲学における『実践理性批判』において展開されていく一連の議論においては、
理論理性と実践理性の領域の区分のあり方の画定作業が進められていくなかで、宗教における信仰の対象となる神の存在は、
論理的な証明を行う理論理性の領域に位置づけられる存在ではなく、道徳的な実践を行う実践理性の領域に位置づけられる存在として捉え直されていくことになります。
1788年の『実践理性批判』の出版の前年に世に出された1787年の『純粋理性批判』第二版の序文においては、『実践理性批判』における具体的な議論に先立って、
「信仰を容れる場所を得るために、知識を除かねばならなかった。」
(カント『実践理性批判』篠田英雄訳、岩波文庫、43ページ)
というカント自身の言葉による有名な宣言がなされているのですが、
カントの批判哲学においては、こうした理論理性と実践理性の領域の区分のあり方が画定されていくのに伴って、
それぞれの理性が担う人間の心における知性的な働きの領域である信仰と知識、すなわち、信と知の領域についても、両者の間に明確な区分がもたらされていくことになっていったと考えられることになるのです。
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次回記事:実践理性が理論理性に優越する理由とは?二つの理性の働きの根本にある関心や意志といった実践的な心の働き
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