宇宙の果ては存在するのか?③主観的な宇宙の果てに対応する主観的な宇宙の中心の位置づけ

このシリーズの初回から前回までの一連の記事では、

 宇宙の中心や、その反対に、宇宙の果てと呼ばれるような特別な地点は、現実の宇宙の内部においてどのような形で見いだされることになるのか?ということについて詳しく考えてきました。

そこで、今回の記事では、

今までに書いてきた一連の記事における宇宙の中心と端の問題についての考察をまとめていくなかで、

客観的な観点主観的な観点といった視点の違いに基づいて、

宇宙の中心や端の有無についてどのような結論が得られることになるのか?ということについて、改めて詳しく考察しておきたいと思います。

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客観的な観点における宇宙の中心や端と呼ばれる存在の有無

まず、

「宇宙に中心が存在しない理由とは?①」にはじまるこのシリーズの前半の三回にわたる記事のなかで詳しく考えてきたように、

ビックバン理論に基づく宇宙の膨張のあり方や、宇宙背景放射と呼ばれるビックバン後の初期の宇宙から放たれた光子の地球上における全方位的な観測のあり方について考察していくと、

宇宙誕生の源となったビックバンの開始地点宇宙の中心として位置づけようとしても、そうしたビックバンの開始地点としての宇宙の中心地球から見た宇宙の全方位から観測されることになってしまうという矛盾が生じてしまうため、

観測可能な現実の宇宙の内部においては、宇宙の中心宇宙の端と呼びうるような特別な地点は存在しないと結論づけられることになります。

あるいは、より正確に言うならば、

この宇宙の内のあらゆる地点は、宇宙の内の別の地点からは宇宙の中心あるいは宇宙の端としても位置づけられることが可能であり、

観測可能な現実の宇宙の内部におけるすべての地点は宇宙の端であると同時に、宇宙の中心でもあるという意味において、

少なくとも、客観的な観点においては、そうし宇宙の中心や端と呼ばれる特別な地点を宇宙の内の実在的な特定の場所として指し示すことはできないと考えられることになるのです。

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主観的な宇宙の果てに対応する主観的な宇宙の中心の位置づけ

しかし、その一方で、

「宇宙の果ては存在するのか?①」にはじまるこのシリーズの後半の二回の記事のなかで考察してきたように、

観測者の視点に立った主観的な観点においては、そうした観測可能な現実の宇宙の内部においても、そうした宇宙の果て宇宙の端と呼ばれるような特別な地点を見いだすことができると考えられ、

その場合、

自分自身が位置する観測地点から見た情報伝達の面における限界地点としての宇宙の果ての存在が宇宙の地平面あるいは事象の地平面と呼ばれることになるのに対して、

地球上から観測することができる観測可能な宇宙の全領域を縁取っていくことになる見かけ上の宇宙の果てとなる領域の存在は、宇宙光の地平面あるいは光子の粒子的地平面として位置づけられることになります。

ちなみに、その場合、

そうした見かけ上の宇宙の果てに対応する見かけ上の宇宙の中心といった場所も宇宙の内のどこかに位置づけられることになるのか?

ということについても一応検討していくことができると考えられ、

その場合、見かけ上の宇宙の果てとしての宇宙の地平線宇宙光の地平面と呼ばれる宇宙の境界面を観測している自分自身、

すなわち、そうした宇宙の観測者自身が位置している地球の存在自体が、そうした見かけ上の宇宙の中心として観測されていると考えられることになるのです。

客観的な観点と主観的な観点に基づく宇宙の中心と端の位置づけの違い

このシリーズの初回の記事の冒頭部分でも触れたように、現代の宇宙物理学における基本原理の一つとなっている宇宙原理においては、大局的な観点における宇宙はいたるところで一様的かつ等方的であるとされていて、

観測可能な宇宙空間の内部においては、宇宙の中心や端といった特別な位置や方向といったものはどこにも存在しないという考え方が示されているのですが、

こうした宇宙原理のなかでも語られているように、

宇宙を俯瞰してその全体構造を把握しようとするような客観的な観点に立った場合、

観測可能な現実の宇宙の内部においては、そうした宇宙の中心や端として位置づけられるような特別な地点といったものは実在的な特定の場所として指し示すことはできないと考えられることになります。

しかし、それに対して、

宇宙の構造自体を観測者の視点から捉え直そうとする主観的な観点に立った場合、

そうした同じ観測可能な現実の宇宙の内部においても、宇宙の中心や端といった特別な地点の存在を見いだしていくことが可能であり、

さらには、そうした自らの観測を通じて実際に現実の宇宙の構造を再構成している観測者としての人間自身特別な存在として位置づけていくという考え方も可能となると考えられることになります。

そして、

こうした宇宙の構造のあり方とその構造全体を成り立たせている宇宙の原理について、

観測者としての人間の主観的原理を重んじて、そうした宇宙の構造や原理のあり方を解き明かそうとする宇宙論のあり方としては、

次回以降の記事で取り上げていくことになる人間原理と呼ばれる現代の宇宙論における宇宙の一つの捉え方を挙げることができると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:宇宙原理と人間原理の違いとは?観測者としての人間を原理とする宇宙観と一様的かつ等方的な宇宙の構造を原理とする宇宙観

前回記事:宇宙の果ては存在するのか?②見かけ上の宇宙の果てとしての「宇宙光の地平面」に囲まれた観測可能な宇宙の全領域

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