『風の谷のナウシカ』が示す人類が歩むべき三つの道とは?①墓所の主である旧世界の影たちが語る光と闇の二つの道
前回までの巨神兵についての記事で詳しく考察してきたように、アニメ映画版の原作にあたる漫画版の『風の谷のナウシカ』においては、
人々の間で交わされる議論とその間で結ばれる合意を重んじる理性的な調停者としての姿と、自らの裁定に逆らう者は容赦なく炎の光によって焼き払ってしまうという荒々しい兵(つわもの)の神としての姿という二面性を持った巨神兵の姿が示されていると考えられることになります。
そして、
こうした漫画版の『風の谷のナウシカ』の最終章においては、ナウシカは、こうした理性的な性質と暴力的な性質をあわせ持った裁定者としての巨神兵を自らのもとに従えたうえで、
腐海の森を創り上げた現在の世界の創造主である旧世界の人類の影たちと対決するために、彼らが眠りについている土鬼帝国の聖都シュワの内部の墓所と呼ばれる地へとおもむいていくことになり、
彼女は、その場で、現在の人類が進むべき未来を自らの手で選び取るための決断と審判を下すよう迫られていくことになるのですが、
こうした物語の最終盤の場面において、ナウシカは、人類が進んで行くべき未来に対して、具体的にどのような裁定を下していくことになったと考えられることになるのでしょうか?
墓所の主である旧世界の影たちが語る光と闇の二つの道
漫画版の『風の谷のナウシカ』の最終巻である第七巻の最終盤の場面においては、
墓所の守りを突破してその内奥へとたどり着いたトルメキアのヴ王とナウシカのことを説得するために、墓所の主である旧世界の影たちは、はじめは以下のような言葉で、優しく語りかけていくことになります。
・・・
「子らよ……。手荒な出迎えをして許しておくれ。武装を解き、平安に伝えねばならないわけがあるのだ。」
「自らの愚かさゆえに空しく亡びたあまたの人間を代表して、そなた達に伝えたい。永い浄化の時にそなた達はいる。だが、やがて腐海の尽きる日が来るであろう。青き清浄の地がよみがえるのだ。」
「浄化のための大いなる苦しみを罪への償いとして、やがて再建への輝かしい朝が来よう。…子らよ、力を貸しておくれ、この光を消さなために。」
(『風の谷のナウシカ』第七巻、195~196ページ。)
・・・
そして、
自らの存在と、彼らが千年の昔にすでに完成させていた永遠の計画とを自ら「光」と呼ぶ旧世界の人類の影たちは、さらに、自分自身の存在のことを指して、
「わたしは暗黒の中の唯一残された光だ。」(『風の谷のナウシカ』第七巻、201ページ。)
と語り、
そうした自分たちの光の計画に異を唱えるナウシカと、「お前には仕えん!!自分の運命は自分で決める。」と語るトルメキアのヴ王に対して、
「お前は危険な闇だ。」(『風の谷のナウシカ』第七巻、201ページ。)、「お前達は希望の敵だ。」(『風の谷のナウシカ』第七巻、202ページ。)
と語って彼らのことを強く非難していくことになります。
自由を放棄して永遠の計画に従う光の道と、人々が欲望のままに自由に振る舞うことによって破壊と闘争がもたらされる闇の道
つまり、
こうした墓所の主である旧世界の影たちが語る言葉においては、現在の人類がこの先に歩んでいくことが可能である二つの道筋、すなわち、
人々が自らの自由を完全に放棄したうえで、千年の昔に墓所の主たちがすでに完成させていた永遠の計画にひたすら従順に従うことによって秩序と平和を得る光の道を進んでいくのか、
それとも、そうした理性の光によって照らされた永遠の計画を捨て去って、自分たちの欲望のままに自由に振る舞うことによって、殺し合いと環境破壊を繰り広げ、破壊と闘争をもたらすことになる闇の道を進んでいくのかという
光と闇の二つの道が指し示されていると考えられることになるのです。
そして、詳しくは、また次回改めて考察していくように、
ナウシカは、こうした旧世界の影たちが提示する光と闇という両方の道を否定したうえで、
そうした光と闇という二つの道筋のうちのどちらか一方の概念だけによっては汲み尽くすことができない生命という存在を新たな基準とした第三の道を打ち立てることによって、
ついに、こうした現在の人類が進むべき未来のあり方についての一つの裁定を下すことに至ると考えられることになるのです。
・・・
次回記事:ナウシカが語る生命をすべての基準とした人類が歩むべき第三の道とは?『風の谷のナウシカ』が示す人類が歩むべき三つの道②
前回記事:オーマという巨神兵の名の由来とは?ケルト神話における戦いの神オグマとダーナ神族との関係、巨神兵とは何か?③
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