「人生から別れる時にはオデュッセウスとナウシカの別れのごとくあれ」『善悪の彼岸』におけるニーチェの箴言と人生観
前回(書いたように、紀元前8世紀頃の吟遊詩人であったとされるホメロスの作として伝わる古代ギリシアの長編叙事詩である『オデュッセイア』においては、
トロイアから故郷であるイタケへと帰還するまでの放浪の旅の途上にあったギリシアの英雄オデュッセウスとパイアキア人の王女ナウシカとの間の印象的な出会いと別れの場面が描かれているのですが、
こうした『オデュッセイア』における王女ナウシカと英雄オデュッセウスの別れの場面が題材された内容を含む文学作品の中には、代表的なものとして、
19世紀を代表するドイツの哲学者であるニーチェの言葉を挙げることができると考えられることになります。
『善悪の彼岸』における王女ナウシカを礼賛するニーチェの言葉と人生観
ニーチェの著作のなかの代表作のうちの一つである『善悪の彼岸』(Jenseits von Gut und Böse、1886年)の「箴言と間奏曲」と題される章においては、
ニーチェの独自の視点によって切り取られた思想や人生観の断片が数多く並べ立てられていくことになるのですが、
そこでは、以下のような形で、古代ギリシアの長編叙事詩である『オデュッセイア』のなかで語られているギリシアの英雄オデュッセウスとナウシカの別れの場面が題材とされる箴言が語られていくことになります。
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「人生に別れを告げる時には、さながらオデュッセウスとナウシカが別れた時のごとくあれ。――それに恋慕するよりは、それを祝福して。」
(Man soll vom Leben scheiden wie Odysseus von Nausikaa schied, — mehr segnend als verliebt.)
(ニーチェ『善悪の彼岸』第四章「箴言と間奏曲」第96節)
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詳しくは、前回の記事で書いたように、『オデュッセイア』の後半部分においては、自分のもとから離れて故郷であるイタケへと帰っていこうとするオデュッセウスに対して、
ナウシカは、彼のことを無理に引きとめようはせずに、その門出を心から祝福してみせることによって、かえってオデュッセウスの心により深い感情を刻み残していくことになるのですが、
ニーチェは、こうした『オデュッセイア』における王女ナウシカがオデュッセウスとの別れの時に際して見せた毅然とした凛々しい姿にインスピレーションを受けて、上記のような箴言を書き記すことになったと考えられることになります。
つまり、
上述したニーチェの言葉においては、
王女ナウシカが自らのもとから離れていこうとするオデュッセウスのことを未練を持って恋い慕い、その思いにいつまでも執着し続けるのではなく、
別れが避けられないものであるならば、あえて、それを真っ直ぐに受け入れ、むしろそのことを心から祝福することによって自ら乗り越えていく道を選び取ったように、
人間の生命においても、その終わりが避けられないものであるならば、その時が来ることを嘆き恐れて、現在の生に執着し続けることよりも、
終わりの日が来ることを真っ直ぐに受け入れ、そのことを心から祝福して肯定したうえで、自らの心をさらにその先へと向けていく力強い意志こそが重要となるというニーチェの人生観が示されていると考えられることになるのです。
力への意志と超人の思想を体現する存在としての王女ナウシカの姿
ちなみに、
こうした『オデュッセウス』における王女ナウシカの姿が題材とされた箴言が記されている『善悪の彼岸』の前年に書かれた『ツァラトゥストラはかく語りき』(Also sprach Zarathustra、1885年)においては、
「これが人生だったのか?ならば、もう一度!」(”War das das Leben? Wohlan! Noch Ein Mal!”、ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』第三部「幻影と謎」)
という言葉が語られていて、
上記のニーチェの言葉においては、人間の生命そして宇宙全体の存在自体が何の目的もなくいつまでも同じところをグルグルと回っているような無目的で無意味な存在に過ぎないという永劫回帰の世界観に立ったうえで、
そうした本質的には無目的な生を前にして、そこから目を背けて逃げ出したり、そのことに絶望してすべてを諦めてしまったりするのではなく、
本質的には無目的なものであり得る生命の姿をありのままに受け入れ、そうした自らの生命のすべてを肯定する力強い意志を持つことによってはじめて、人間は自分の人生を本当の意味で自らのものとして生きていくことができるという
ニーチェの力への意志と超人の思想へとつながる人生観が提示されていると考えられることになります。
そして、そういう意味では、
前述した『善悪の彼岸』において記されている「人生から別れる時にはオデュッセウスとナウシカの別れのごとくあれ」というニーチェの言葉においては、
こうした『ツァラトゥストラはかく語りき』における「これが人生だったのか?ならば、もう一度!」という言葉に示されているような、
ニーチェの力への意志や超人の思想へとつながる生き方を体現する存在として、『オデュッセイア』における王女ナウシカの姿が捉えられているとも解釈することができると考えられることになるのです。
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次回記事:映画版と漫画版の『風の谷のナウシカ』における「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし」というセリフの違いとは?
前回記事:王女ナウシカと英雄オデュッセウスの恋愛と友愛、ギリシア神話の王女ナウシカと風の谷のナウシカの関係とは?②
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