三皇とは何か?天皇・地皇・人皇・伏羲・女媧・神農・燧人・黄帝という八人の伝説の帝王のうちの三柱の神々の名
三皇(さんこう)とは、中国神話などにおいて語られている古代中国の伝説的な三人の帝王や神々のことを意味する言葉であり、
こうした三皇と呼ばれる存在には、典拠となる文献の違いなどに応じて、伏羲、女媧、神農、燧人、黄帝、さらには、天皇、地皇、人皇といった様々な帝王の名が挙げられることになるります。
それでは、
こうした天皇・地皇・人皇・伏羲・女媧・神農・燧人・黄帝という八人の帝王はたちは、それぞれどのような意味において三皇として数え上げられていると考えられ、
通常の場合は、上記の八人の帝王のうちのどの三人が三皇として位置づけられるのが適切であると考えられることになるのでしょうか?
『易経』における天地人の具現化としての天帝・地帝・人帝
歴代の中国王朝において公的に編纂された歴史書である正史の中でも第一のものとして数えられている『史記』においては、
こうした三皇と呼ばれる存在は、
天皇(てんこう)・地皇(ちこう)・人皇(じんこう)という三人の帝王のことを指すという説と、
伏羲(ふっき)・女媧(じょか)・神農(しんのう)という三人の帝王のことを指すという説の
二つの説が併記される形で示されています。
しかし、
こうした二つの説のうちの前者である天帝・地帝・人帝と呼ばれる三者の概念は、もともとは、はっきりとした神話的な伝承を伴った実体的な概念というわけではなく、
古代中国においては、儒教の経典として最も尊重されている経典である五経のうちの一つである『易経』(えききょう)などにおいて見られるような
天・地・人と呼ばれる三つの原理が三位一体となったある種の思考の形式のような抽象的な概念の方が先に考え出されていて、
後になって、こうした三つの概念に合わせて当てはめられていく形で、そうした抽象概念が具現化された存在として天帝・地帝・人帝という三者の概念が生み出されていったと考えられることになるのです。
人類の誕生と人間社会の原型をつくり上げた伏羲・女媧・神農の治世
それに対して、
前述した二つの説のうちの後者である伏羲・女媧・神農と呼ばれる三者の概念は、数多くの神話的な伝承を伴ったより実体的な概念であり、
以前に「女媧による黄河の土からの人間の創造」や、「神農とは何か?」の記事で書いたように、
まず、
こうした三人の帝王のうちの伏羲と女媧の両者は、蛇身人首の姿をした人類を創造した神であるとされていて、
人類は、女媧が自らの姿に似せて黄河の土からつくり上げた土人形に、自らの生命の一部を吹き込むことによって誕生したとも、
男神としての伏羲と、女神としての女媧が夫婦となることによって誕生したとも伝えられています。
そして、
帝王としての伏羲は、天地の理(ことわり)を見通す占いの一種である八卦を編み出して森羅万象の吉凶を明らかにし、文字の発明や、人々に漁労と牧畜の技術を教えたとされていて、
女媧は、楽器の発明や、洪水や火災などの天災によって大きく傷ついた国土の修復を行った帝王として位置づけられています。
そして、
最後に挙げたもう一人の帝王である神農は、牛頭人身の姿をした火や夏の季節などを司る太陽神であると同時に、
木製農具の発明や、五穀の栽培技術を教えることで人間社会に農業技術をもたらし、さらには、薬草学の知識に基づく東洋医学的な医学の発達をもたらした古代の帝王としても位置づけられています。
このように、
中国神話においては、こうした女媧・伏羲・神農と呼ばれる三代にわたる異形の姿をした神々の治世によって、
人類の誕生と人間社会の原型となる姿が形づくられていったことが説明されていると考えられることになるのです。
三皇における燧人と黄帝の位置づけ
そして、
冒頭で挙げた八人の帝王のうちの残りの二人である燧人(すいじん)と黄帝(こうてい)については、
まず、
燧人とは、伏羲よりもさらに以前の太古の時代に存在していたとされることもある帝王の名であり、人々に火の技術をもたらし、肉や植物を煮たり焼いたりして食べるという食物の調理法を教えた人物であるともされています。
そして、
前述した伏羲・女媧・神農という三柱の神々による治世から、女媧という女性的な要素が除外された場合には、
こうした燧人と呼ばれる古代の帝王がその枠を埋める形で三皇の一人として数え上げられることになり、
その場合には、古代中国の神話時代においては、燧人・伏羲・神農という三帝の時代が順々に続いていったと主張されることになるのですが、
こうしたケースでは、人類を創造したとされる神々である伏羲や女媧の前に、燧人と呼ばれる帝王がまだ存在していないはずの人間に火の使い方を教えたと解釈することもできてしまうような神話の中の話のつじつまが若干合わなくなるケースがでてきてしまうとも考えられることになります。
それに対して、
最後に挙げた黄帝は、伝説上初めて中国全土を統一したとされる漢民族の祖としても位置づけられる帝王なのですが、
黄帝は、歴史上における夏(か)、殷(いん)、周(しゅう)といった古代中国の歴代王朝の大本の始祖としても位置づけられることから、
伏羲や女媧といった神話上の神々というよりは、人間の姿形をした中国の古代史における伝説上の聖君である五帝のうちの最初の帝王としても位置づけられることになります。
そして、
三皇のうちに黄帝が含められる場合には、前述した女媧と燧人の両者が除外されて、伏羲・神農・黄帝の三人が三皇として位置づけられることになるのですが、
通常の場合は、こうした三皇と五帝のそれぞれに含まれる帝王の名前の重複を避けるため、黄帝の名は三皇の方には含めずに、五帝にのみ含める方がより一般的であると考えられることになるのです。
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以上のように、
三皇として位置づけられる古代中国の神話時代における主要な帝王や神々の名としては、
天皇・地皇・人皇・伏羲・女媧・神農・燧人・黄帝といった様々な伝説上の帝王の名が挙げられることになると考えられることになり、
こうした八人の帝王のなかでも、人類の誕生と人間社会の形成において中心的な役割を担った主要な存在であり、はっきりとした神話的な伝承を伴った実体的な存在として位置づけられる古代の帝王としては、
伏羲・女媧・神農という三柱の異形の姿をした神々の名が挙げられると考えられることになります。
つまり、そういう意味では、
通常の場合、こうした三皇と呼ばれる存在としては、天皇、地皇、人皇、あるいは、燧人、黄帝といった他の五人の帝王の名を挙げるよりは、
伏羲・女媧・神農という三柱の神々や古代の帝王の名を挙げる方がより適切であると考えられることになるのです。
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