神農とは何か?牛頭人身の太陽神としての炎帝神農氏と農耕と医療を中心とする古代中国における理想的な文化国家の形成
前回書いたように、中国神話においては、伝説上の帝王である三皇五帝のうちのはじめの二代にあたる伏羲(ふっき)と女媧(じょか)の治世の時代において、
黄土からの人間の創造と、八卦と楽器そして文字の発明、漁労や牧畜の技術を開発といった古代社会における基本的な文化の創成が進められていったと考えられることになります。
そして、こうした伏羲と女媧の二帝の次の時代の治世を担ったのが神農(しんのう)と呼ばれる伝説上の帝王であり、
神農は、伏羲・女媧・神農の三皇のうちの最後にして最大の帝王であり、農耕と医療を司る神としても位置づけられていくことになります。
牛頭人身の太陽神としての炎帝神農氏の姿
神農(しんのう)とは、古代中国における伝説上の帝王の三皇のうちの最後の一人にして、炎帝神農氏(えんていしんのうし)とも呼ばれる帝王であり、
炎帝(えんてい)とは、もともとは火や竈(かまど)、夏の季節などを司る神のことを意味する言葉であり、そうしたすべての火や熱の源となる太陽神のことを意味する言葉でもあると考えられることになります。
ちなみに、
こうした中国の神話時代における三皇と呼ばれる伝説上の帝王たちは、古代国家を統べる最高権力者であると同時に、人間とは異なる異形の姿形をした古代の神々としても位置づけられていて、
前回取り上げた伏羲と女媧という対をなす神々が、両者とも上半身は人間で下半身は蛇のような姿形をしたは蛇身人首の姿をした神であったのと同様に、
神農と呼ばれる帝王も、体は人間でありながら、頭は牛の姿をした牛頭人身の姿をした西洋のギリシア神話で言うところのミノタウロスのような姿をした神であったと考えられることになるのです。
神農による農耕と医療を中心とする古代における理想的な文化国家の形成
そして、
こうした牛頭人身の姿をした神農は、その名の通り、農耕を司る神であって、
木鍬(こくわ)や木鋤(こすき)などの木製の農具を開発して、人間に土地の耕作の仕方を教え、
耕した土地に稲・稷(きび)・麦・豆・麻(あさ)などの古代中国における五穀をまくことによって農作物の栽培と収穫を行うという農業技術を人間にもたらした神として位置づけられることになります。
また、
神農は、前述したように、大地に草木が生い茂る夏の季節を司る神であることもあって、植物について深く精通し、薬草などについての知識も豊富であったことから、
薬草学や漢方薬などの祖としても位置づけられていて、東洋医学の礎を築いた医療神としても位置づけられていくことになるのです。
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以上のように、
神農(しんのう)とは、牛頭人身の姿形をした火や夏の季節などを司る太陽神である炎帝(えんてい)とも同一視される中国神話における伝説上の帝王であり、
三皇のうちの最後の一人にして、伏羲と女媧の二帝の治世の後を継いだ神農の治世においては、
木製の農具の開発と五穀の栽培技術の伝播によって人間社会に農業の技術が広くもたらされ、さらには、薬草学の知識に基づく東洋医学的な医療の発達もこうした神農の治世において進められていくことになったと考えられることになります。
つまり、
神農によってもたらされた農耕と医療の技術、さらには、前回取り上げた伏羲と女媧の治世においてもたらされた漁労と牧畜、音楽と文字文化といった
人間が豊かに生きていくための基本となる文化国家の礎となる要素のすべては、今回取り上げた神農を中心とする三皇の時代において、すでに十分に充実した形でそろえられていて、
その最後の時代である神農の治世において、農耕社会を中心とする音楽や文字文化、さらには、医療にも恵まれた古代における一つの理想的な文化国家の実現がもたらされていたとも考えられることになるのです。
そして、
こうした神農によって築かれた農耕社会を中心とする一つの理想的な文化国家のあり方に対して、
次に現れる伝説上の帝王である黄帝(こうてい)による治世の時代には、より工業技術の進んだ古代における文明国家の実現がもたらされていくことになると考えられることになるのです。
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次回記事:黄帝とは何か?漢民族の祖にしてすべての皇帝の伝説上の始祖となる帝王による工業技術の発展した文明国家の建設
前回記事:女媧による黄河の土からの人間の創造と三皇五帝の最初の帝王である伏羲による八卦と文字の発明
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