フッサールの現象学における本質直観とは何か?プラトンのイデア論からフッサールの形相的直観へ、哲学における直観の意味⑦
前回までの一連のシリーズで書いてきたように、
近代哲学における直観概念のあり方には、デカルトにおける自己直観や、スピノザにおける知的直観、そしてカントにおける感性的直観といった様々な認識のあり方が存在すると考えられることになります。
そして、こうした人間の意識における直観という認識能力については、
19世紀後半から20世紀前半にかけて活動したドイツの哲学者であるフッサールの現象学と呼ばれる哲学思想のうちにおいても、本質直観と呼ばれる特徴的な直観的認識のあり方が提示されていくことになります。
フッサールの超越論的現象学における本質直観
前回書いたように、
カントの認識論においては、人間の認識において可能な直観のあり方は、時間と空間という形式に基づいてもたらされる表象としての感性的直観のみであり、
認識の対象となる存在を時間や空間を超越して一挙に把握し、その本質をとらえるような直観のあり方は人間の認識能力においては否定されることになります。
しかし、それに対して、
フッサールの現象学においては、
超越論的主観性あるいは超越論的意識と呼ばれる意識の場においては、認識において現れている現象の本質を直観することは可能であると主張されることになります。
・・・
超越論的主観性(transzendentale Subjektivität、トランスツェンデンターレ・ズプイェクティヴィテート)とは、フッサールの現象学の根幹を担う意識のあり方のことを示す概念ですが、
フッサールの現象学、より正確には、超越論的現象学においては、
人間が自分自身の意識を含むすべての存在を客観的な世界の内に位置づけるという自然的態度における思考習慣をいったんエポケー(epoche、判断停止)するという現象学的還元あるいは超越論的還元と呼ばれる手法によって、
自らの意識の認識の内にあるすべての現象は、客観的な対象としての世界の内ではなく、超越論的主観性と呼ばれる自分自身の純粋意識の内に生き生きと現れる存在として新たな形で捉え直されていくことになります。
そして、
こうしたフッサールの現象学において示される超越論的主観性における直観のあり方は、
現象の普遍的な本質を意識において直接捉える認識のあり方として、本質直観や形相的直観あるいは普遍的直観などと呼ばれていくことになるのです。
プラトンにおけるイデアの直観からフッサールの形相的直観へ
フッサールにおける本質直観の別名である形相的直観という概念に使われている形相(eidos、エイドス)という言葉は、
もともと古代ギリシア語で「形」や「姿」のことを意味する言葉であり、それは一言でいうと、事物をその事物たらしめている本質的な規定のことを意味する概念ということになります。
そして、
こうした認識の対象となる事物の本質的な規定のことを意味する形相(エイドス)という概念は、
プラトン哲学においては、すべての存在の根源にある真なる実在としての観念のあり方を意味するイデア(idea)と同一の意味を持つ概念として扱われることになります。
そして、このシリーズの初回の記事でも書いたように、
プラトンのイデア論において、イデアそのものを直接洞察する知のあり方はノエーシス(直知的認識)と呼ばれることになるのですが、
そういう意味では、
フッサールの現象学において本質直観あるいは形相的直観と呼ばれている認識のあり方は、
プラトンのイデア論におけるイデアあるいはエイドス(形相)を直接把握する認識のあり方であるノエーシス(直知的認識)とも深い結びつきをもった概念であると考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
フッサールの現象学においては、
すべての存在を客観的な世界の内に位置づけて把握するという自然的態度における思考習慣から人間の意識を解放する現象学的還元と呼ばれる操作を経ることによって得られる超越論的主観性と呼ばれる人間の心が持っている純粋な意識の場においては、
意識に現れているありのままの現象の本質を直観するという本質直観や形相的直観と呼ばれる認識のあり方は、人間の意識においても可能であると主張されることになります。
そして、
こうしたフッサールの現象学における本質直観や形相的直観と呼ばれる概念は、
形相(エイドス)やイデアといった古代ギリシア哲学に由来する概念を介して、プラトンのイデア論においてイデアそのものを直接洞察する知のあり方を意味するノエーシス(直知的認識)と呼ばれる認識のあり方へも通じる概念であると考えられることになります。
そして、そういう意味においては、
フッサールの現象学における本質直観の概念は、
カントが切り拓いた超越論哲学の道を、超越論的現象学という新たな学問分野や、超越論的主観性と呼ばれる根源的な意識の場の概念として継承しながら、
その思想自体は、プラトンのイデア論における直知的な認識のあり方へと、ある意味では次元を超える形で回帰している思想であるとも捉えられることになるのです。
・・・
次回記事:哲学における四つの直観の違いとは?自己直観と知的直観と感性的直観と本質直観
前回記事:カントの認識論における直観概念の転回と感性的直観と知的直観の違い、哲学における直観の意味とは?⑥
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