カントの認識論における直観概念の転回と感性的直観と知的直観の違い、哲学における直観の意味とは?⑥

前々回前回の記事で書いたように、

近代哲学の端緒を開いた17世紀前半のフランスの哲学者であるデカルトにおいては、直観という認識のあり方は、一義的には私の意識の内に現れる最も直接的で確実な認識である自己直観として捉えられるのに対して、

デカルトの哲学を引き継ぎつつ、自らの新たな思想を展開した17世紀後半のオランダの哲学者であるスピノザにおいては、直観という認識のあり方は、自分自身の精神を含む全ての存在を永遠の相のもとに観るという神の内にある知的直観として捉え直されていくことになります。

そして、こうしたデカルトの哲学における自己直観や、スピノザの哲学における知的直観といった直観概念のあり方には、

彼らから見て100年ほど後の時代を生きた18世紀のドイツの哲学者であるカントの認識論において、大きな変化がもたらされることになります。

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カントの認識論における知的直観と感性的直観の違い

カントは、それまでは知覚や表象といった直観とは異なる概念として捉えられることが多かった認識のあり方についても、それが人間の意識の内に直接現れる認識であるという意味においては、直観にあたると考え、

そうした知覚や感覚に基づく直観のあり方を、知性や理性に基づく直観のあり方である知的直観と区別して、派生的直観あるいは感性的直観として規定することになります。

つまり、

カントの認識論においては、スピノザが提示した神の内にあるような知的直観があらゆる直観的認識のひな型となり、

そうした原型的直観としての知的直観から分かれ出でるようにして派生的直観である感性的直観が生じたと考えられるということです。

そして、

スピノザが提示した知的直観においては、すべての存在が時間も空間も超越して一挙に把握されることになるので、それは永遠性において認識されるということになりますが、

それに対して、

カントが提示する感性的直観においては、それは通常の知覚や感覚においてもたらされる表象のあり方を意味することになるので、時間と空間という二つの形式を通してもたらされる直観であると規定されるという点において、

知的直観と感性的直観という両者の直観概念には明確な区別があると考えられることになるのです。

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カントの認識論における直観概念の転回

そしてさらに、カントは、

こうしたスピノザにおける知的直観という認識のあり方は、それが神的完全に知的な直観のあり方である以上、

そうした知的直観に基づく認識は、そもそも人間には不可能な認識のあり方であると主張することになります。

そして、

知的直観が人間には不可能な認識のあり方である以上、人間に可能な直観のあり方は、感性的直観という時間形式空間形式に基づく直観のあり方だけであり、

人間の意識におけるすべての認識は、

感性においてもたらされる直観と、悟性知性)においてもたらされる思考という二つの要素の総合的統一によって成立していると規定されることになるのです。

・・・

以上のように、カントの認識論においては、

直観という認識のあり方は、

永遠性のもとにある神の認識である知的直観と、
時間と空間という形式のもとにある人間における感性的直観

という二種類の別々の直観のあり方として、それまでの古代や近代における直観概念とはかなり異なった形新たに整理されていくことになります。

このように、

カントにおける感性的直観という直観概念のあり方は、それまでのデカルトスピノザ、さらにさかのぼって、エピクロス派新プラトン派といった古代ギリシア哲学の時代から引き継がれてきた直観概念の定義自体を大きく覆してしまうことになるのです。

・・・

しかし、

こうしたカントの認識論における直観概念の転回を経ても、

上記のような古代ギリシア哲学やデカルトやスピノザにおける直観概念のあり方がその後の哲学思想の流れの中で完全に消え去ってしまうわけではなく、

18世紀後半から19世紀前半にかけて活動したドイツの哲学者であるフィヒテシェリングなどに代表されるその後のドイツ観念論の動向の内では、

スピノザ哲学における知的直観の概念が新たな形で捉え直されていくことによって改めて導入されていくことになります。

特に、フィヒテにおいては、

すべての認識は、自我の絶対的な自己活動の直観を前提として成立するとされ、

こうした絶対的な自我の構造を基盤とするフィヒテの自我の哲学は、デカルトの自己直観スピノザの知的直観という両者の直観概念を新たな次元で結び付けていくような形で新たに展開されていくことになります。

このように、

デカルトスピノザの哲学における自己直観知的直観といった近代哲学における直観概念のあり方は、

カントの認識論における直観概念の転回を経たうえで、

フィヒテシェリングといったその後のドイツ観念論哲学の潮流の内にも受け継がれていき、

さらには、より遠く、フッサールの現象学などの20世紀以降も含めた現代の哲学における直観概念の内へも、形を変えながら継承されていくことになると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:フッサールの現象学における本質直観とは何か?プラトンのイデア論からフッサールの形相的直観へ、哲学における直観の意味⑦

前回記事:スピノザの認識論における知的直観とすべてを神の内に観る直観知、哲学における直観の意味とは?⑤

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