文化相対主義と多文化主義の違いとは?多層的な文化の間の平等性を主張する多文化主義との間の共通点と相違点
自分が所属する国家や民族における文化を、他国や他民族よりも優れた文化として位置づける自民族中心主義(ethnocentrism、エスノセントリズム) に対立する思想のあり方としては、
一般的には、文化相対主義や多文化主義と呼ばれる文化人類学や社会学における思想が挙げられると考えられることになります。
それでは、こうした文化相対主義および多文化主義と呼ばれる思想は、それぞれ具体的にはどのような文化に対する捉え方を意味する概念であり、
両者の思想には、互いにどのような共通点と相違点があると考えられることになるのでしょうか?
文化相対主義と多文化主義の定義と両者の思想の共通点
はじめに、文化相対主義と多文化主義という両者の概念の具体的な定義のあり方について考えていくと、まず、
文化相対主義(cultural relativism、カルチュラル・レラティビズム)とは、
現在地球上に存在するすべての国家や民族における文化は、それぞれが個々の自然環境や社会環境への適応を通じて形成された互いに同等な独自の価値体系をもった文化であり、
そうしたすべての文化は、互いに優劣や善悪といった上下関係のない対等な関係にあると考える思想のあり方のことを意味すると考えられることになります。
それに対して、
多文化主義(multiculturalism、マルチ・カルチュラリズム)とは、
そうした対等な関係にあるすべての文化を互いに等しく尊重し、世界全体あるいはその内の一つの国家や社会において、互いに異なる多数の文化が対等な関係で共存することを積極的に容認していこうとする考え方のことを意味していると考えられることになります。
そして、
文化相対主義と多文化主義の両者とも、
それが自民族中心主義のように、自分が所属する民族や文化のあり方を唯一の絶対的な基準とすることによって、そうした独善的な視点から他の様々な異文化のあり方を判断するのではなく、
自分が所属するものとは異なる文化のあり方を相手側の文化の立場にも立った相対的な視点から捉えていくという点を重視しているという点においては、
両者の思想は互いに共通していると考えられることになるのです。
独立した文化の間の価値的な平等性を主張する文化相対主義と、一つの文化の内に存在する多層的な文化の間の平等性を主張する多文化主義の違い
それでは、次に、こうした文化相対主義と多文化主義と呼ばれる考え方には、具体的にどのような意味合いの違いがあると考えられることになるのか?ということについて考えていきたいと思いますが、
そうすると、まず、
文化相対主義においては、例えば、西洋の文化と東洋の文化、あるいは、ニューヨークの都市文化とアマゾン奥地の少数民族の文化などとの間に価値の優劣の差を認めることはできず、両者の文化のあり方は、同等に尊重されるべきであるというように、
基本的には、二つの互いに異なる文化のあり方が並べられたうえで、それぞれの文化のあり方を独立した形で捉えることを通じて、両者の文化のあり方の価値的な平等性が主張されていくことになると考えられることになります。
それに対して、
多文化主義や文化多元主義の一つの例として、
例えば、アメリカ合衆国などの多民族国家において、一つの国家や社会の中で、多数の互いに異なる民族や文化のあり方が共存していく状態のことを指して、サラダボウル(salad bowl)などという比喩が用いられることがあるように、
そこには、単に複数の互いに異なる文化のあり方を独自の価値を持った独立した存在して捉えるだけではなく、
一つの独立した国家や社会の内にも、常に、複数の互いに異なる民族や文化のあり方が共存していることを認め、そうした国家や社会といった大きな枠組みの内部において細分化されている多層的な個々の文化のあり方についても平等に尊重していこうとする視点を読みとることができると考えられることになります。
つまり、
多文化主義の思想の内には、一見すると単一の存在として独立しているように見える一つの国家や文化の内にも、複数の互いに異なる文化のあり方が混在していて、
一つの大きな文化の枠組みの内には多数の異なる文化が存在し、そのうちの一つの文化の内にもさらにより小規模な多数の異なる文化が存在するという入れ子構造において文化のあり方を捉えながら、
そうした文化の入れ子構造の内の各段階における文化同士も互いに同等の価値を持った存在として平等に尊重していこうとする考え方が含まれていると考えられることになるのです。
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以上のように、
文化相対主義と多文化主義の両者の考え方における共通点としては、
両者とも、自分が属するものとは異なる文化のあり方を相手側の文化の価値観に基づいてありのままに理解し、相互理解を深めていくことによって、
あらゆる文化を同等なものとして捉える相対的な視点を重視しているという点が挙げられると考えられることになります。
それに対して、両者の考え方の相違点としては、
文化相対主義においては、基本的に、二つの異なる文化が互いに独自の価値体系を持った独立した存在として捉えられることによって、両者の文化のあり方の価値的な平等性が主張されていくことになると考えられるのに対して、
多文化主義においては、そうした複数の文化の間の価値的な平等性が国家や社会といった一つの大規模な文化的枠組みの内部においても同等に適用されることによって、
そうした文化の多層的な構造の内部に存在する細分化されたあらゆる文化集団について、それぞれの文化のあり方が平等に尊重されることがより強調して主張されていくことになるという点が挙げられると考えられることになるのです。
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