ヘーゲルの歴史哲学が示す人類史の発展の構図と現実の世界における歴史の流れとの間に存在する差異と矛盾
このシリーズの前回の記事で書いたように、ヘーゲルの歴史哲学において示されている古代オリエントの専制政治から近代ヨーロッパの民主主義的な国民国家へと至るまでの発展的歴史観は、
一歩間違えれば、自分が所属する国家や民族における文化のあり方をそうした国家の発展の歴史の頂点にある至上の存在であると見なしたうえで、
それ以外の他の国家や他民族における文化のあり方をより価値の低い存在として否定するエスノセントリズム(自民族中心主義)にも陥りかねない危険性をはらんでいるとも考えられることになります。
それでは、こうしたヘーゲルの歴史哲学における歴史観について、エスノセントリズムのような偏った政治思想へと陥ってしまう誤解を避けつつ、より整合的な形で解釈を進めていくためには、具体的にどのような解釈の方法があると考えられることになるのでしょうか?
今回は、そうした整合的な解釈を進めていくための前段階として、まずは、こうしたヘーゲルの歴史哲学における発展的な歴史観と、現実の歴史の流れにおける国家のあり方の間に存在する差異と矛盾について改めて整理して考えておきたいと思います。
ヘーゲルの歴史哲学における人類史の発展の構図は現実の歴史の流れにおいて実際に成立していると言えるのか?
冒頭で述べたように、『歴史哲学講義』において示されているヘーゲルの発展的歴史観においては、
古代オリエントの専制政治から、ギリシア・ローマ世界における貴族制、そして、近代ヨーロッパ世界における真の民主制の実現へと至るまでの人類の発展の歴史のあり方が示されていると考えられることになります。
つまり、
こうしたヘーゲルの歴史哲学の思想に基づくと、
人類の歴史は、ペルシア帝国などのオリエント世界(東方世界)における専制国家の段階から、ヨーロッパ世界における近代的な民主主義国家の段階へと段階を踏んでいく形で、順を追って発展あるいは進化してきたと捉えられることになると考えられることになるのです。
しかし、それに対して、
前回述べたような文化相対主義の視点に立つと、
ヨーロッパ世界、すなわち、西洋において立憲君主制や共和制といった民主的な政治体制を備えた近代国家が成立している間、
オリエント世界、すなわち、東洋においてそうした国家における歴史的な進展の歩み進めるための時計の針が止まってしまっていたわけではなく、
当然のことではありますが、東洋においては、西洋の場合とはまた別の形で国家のあり方の変化と発展の歩みが進んできたと考えられることになります。
つまり、
現実の世界における歴史の流れの中では、西洋に位置する諸国家も、東洋に位置する諸国家も、
両者は同じ時間をかけて、それぞれの地域の自然環境や社会環境へと適応していく形で形成されていった互いに独自の価値体系をもった同等な存在として捉えることができる以上、
オリエント世界とヨーロッパ世界、東洋と西洋の間には、どちらの地域における国家の方が人類の歴史においてより先に進んだ優れた段階に位置していて、どちらの国家の方がより前の遅れた段階に位置しているといった国家の発展の段階における優劣をつけることはできないと考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
ヘーゲルの弁証法哲学において示されている発展的歴史観においては、人類の歴史は、オリエント世界(東方世界)における専制国家の段階から、ヨーロッパ世界における近代的な民主主義国家の段階へと順番に段階を追って発展してきたと説明されることになるのですが、
その一方で、
現実の世界における実際の歴史の流れにおいては、そうしたオリエントとヨーロッパ、東洋と西洋といった地域の間に国家としての発展の段階の地域的な差異を認めることはできないと考えられることになります。
つまり、
ヘーゲルの歴史哲学においては、人類の歴史は、古代オリエントから近代ヨーロッパへと段階を追って発展していくと捉えられているのに対して、
現実の歴史の流れにおいては、厳密な意味においては、そのように東洋から西洋へと順番に舞台を移していくような人類史における発展の構図を見いだすことはできないというように、
ヘーゲルの歴史哲学が示す人類史の発展の構図と、現実の世界における歴史の流れとの間には、一見すると差異と矛盾が生じているとも考えられることになるのです。
・・・
次回記事:「自由の意識における進歩」としての理念の次元における人類と国家の発展の構図、ヘーゲル歴史哲学の整合的な解釈①
このシリーズの前回記事:ヘーゲルの発展的歴史観に対する文化相対主義や多文化主義の観点からの批判
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