生命の三つの定義とは何か?よりシンプルで的確な定義の模索、生命とは何か?②
前回書いたように、
すべての生物に共通する一般的な特徴とは何か?という問いは、最終的に、
「自己と外界との境界」「エネルギーと物質の代謝」「自己複製」「恒常性」という
生物の四つの定義へと行き着くことになります。
しかし、
何が生物を生きている存在として成り立たせているのか?という生命の原理についての探究をさらに先へと進めようとするとき、
上記の四つの定義は、いまだ生命の核心を解き明かすには不十分であり、
生物を生きている存在として成り立たせている生命の定義をより明瞭なものとして浮き彫りにしていくためには、定義の数をもっと少ないより核心的なものへと絞り込んでいくことが必要であると考えられることになります。
四つの定義における概念の重複の問題
改めて、上記の生物の四つの定義を眺めていて、まず気づくこととしては、
これらの四つの概念は、それぞれが独立した一つの性質を示しているわけではなく、一つ一つの性質が互いに影響し合う複雑で密接な関係性において成立しているということが挙げられることになります。
そして、その中でも、
特に互いの概念同士が示す性質同士の関連性の強い概念として、
生物に関する第一の定義である「自己と外界との境界」と、第四の定義である「恒常性」の二つの概念が挙げられることになります。
「恒常性」という概念が持つ意味は、自分自身の内部環境を一定の状態に保つ力といった意味になりますが、そもそも、この概念の定義の中に、「内部環境」という言葉が使われていることからも分かるように、
「恒常性」という概念には、自分自身の内部と外部が分け隔てられているという「自己と外界との境界」という概念が前提としてすでに含まれていると考えられることになります。
つまり、
第一の定義である「自己と外界との境界」と、第四の定義である「恒常性」との間には、同じ概念の説明が重複して含まれている部分があるので、
そういう意味では、よりシンプルで的確な生命の定義づけを行うためには、「自己と外界との境界」と「恒常性」のどちらかの要素を除外することが適当であるとも考えられるということです。
そこで、
一般的には、より基礎的な概念である「自己と外界との境界」の定義の方を残して、より複雑な概念である「恒常性」の定義の方を取り払い、
「自己と外界との境界」「エネルギーと物質の代謝」「自己複製」
という三つの定義が生物または生命の定義として挙げられることも多いのですが、
このような形で生命の定義を上記の三つの定義に絞り込んでしまうと、それはそれで、また別の問題に気づくことになります。
それは、「自己と外界との境界」という定義があまりに基礎的な概念であり過ぎて、むしろ、生命自体ではなく、その前提にあるより大きなカテゴリーに対する定義になってしまっているのではないか?という問題です。
生物にも無生物にも共通する「個物」の概念
前回、生物に共通する一般的な特徴を明らかにしていくための例えとして、クモやイチョウの木と、水や土との違いについて考えていく中で詳しく述べたように、
クモやイチョウの木などの存在が一つの生物として生きているということを示すためには、その前提として、
その存在が、「このクモ」や「このイチョウの木」というように、一つのまとまりを持った存在として成立していることが不可欠であると考えられることになります。
この主張自体はまったくもって正しいのですが、
しかし、よくよく考えてみると、
「このクモ」や「このイチョウの木」というように一つのまとまりを持ったものとして指し示すことができる存在というのは、何も生物だけに限ったわけではなく、
例えば、
「この石」や「このビル」というように、自然の中に存在する無機物や人工物などにも同様に適用することができる概念であると考えられることになります。
つまり、
クモが彼自身が這っている壁から区別されて、外界との明瞭な境界を持った個物であると認識されるのと同様に、
石もそれが沈んでいる川の中の水の流れからは区別されることによって一つのまとまりをもった個物である認識され、
イチョウの木がそれが生えている大地の土から区別されるのと同様に、ビルもそれが立っている地面の土から区別されることによって、明瞭な輪郭を持つ一つのまとまりをもった個物であると認識されているということです。
そして、このように考えると、
生物の四つの定義の中の冒頭に挙げられていた第一の定義である「自己と外界との境界」という定義は、厳密に言うと、生物に固有の定義であるわけではなく、
それは、人間が何らかの物体を一つのまとまりを持った存在として認識するために必要な、生物にも無生物にも同様に共通する個物の成立の条件であると考えらえることになるのです。
生物に固有の性質を示す「恒常性」の概念
それでは、これに対して、もう一方の「恒常性」の概念の方はどうなのか?というと、
それは、一般的な無機物や人工物などには存在しない概念であると考えられることになります。
例えば、
クモやイチョウの木などの生物の個体の場合には、
個体内の水分量が減少してくれば、自発的に気孔を閉じて体外へと水分が蒸散する量を減らして、体内の水分量を維持しようとする力が働き、
自分の体が外敵などによって多少傷つけられても、免疫機能や細胞の修復機能によって傷の表面が少しずつ盛り上がっていき、元の体の形に近い状態へと徐々に修復されていくことになります。
これに対して、
石やビルといった自然界に存在する無機物や人工物の場合には、
石が崖から転げ落ちて他の岩にあたって欠けてしまえば、その欠けた石の傷はずっといつまでも欠けたままですし、
地震の揺れなどでビルの窓ガラスなどが割れてしまったときに、その割れた窓がビル自身に備わった修復機能によって自然に自己回復してしまうなどといったことは、通常の世界における現象としてはまったくあり得ないことです。
このように、自分自身の内部環境を一定に保ち、自分の体に何らかのダメージを受けた場合でも、それを自己修復して自発的に元の状態へと戻ろうとする力のことを示す「恒常性」という概念は、
一般的な無機物や人工物などには存在しえない、生物における固有性の高い概念であると考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
「自己と外界との明瞭な境界」を持つ事物は、クモやイチョウの木などの生物だけではなく、石やビルのような無機物や人工物などにも幅広く見られることになるのですが、
それに対して、
「恒常性」の機能を持つ事物は、自然界における無機物はもちろん、通常の人工物においてもほとんど見られることがなく、
こうした自らの内部環境の能動的で自発的な維持としての「恒常性」という概念は、生物における固有性の極めて高い性質を示す概念であると考えられることになります。
そして、そういう意味においては、
何が生物を生きる存在として成り立たせているのか?という生命の本質をより的確に指し示すためには、
石などの自然の無機物や、建物などの人工物などにも共通する個物の概念のことを指し示す「自己と外界との境界」という定義の方を除外して、
自らの内部環境を自分自身の力によって自発的・能動的に維持していく「恒常性」という定義の方を生命の定義として採用した方がより適切であるとも考えられることになるのです。
つまり、
冒頭に挙げた四つの生物の定義をさらに洗練し、集約していくことによって得られる生命の定義としては、
「(エネルギーと物質の)代謝」「自己複製」「恒常性」という三つの定義にまで絞り込むことができると考えられるということです。
・・・
そして、ここからさらに生命の本質へと迫り、生命の原理の核心となる要素を浮き彫りにしていくためには、
上記の生命の三つの定義を、生命の核心となる二つの生命の原理へと、さらに絞り込んでいき、これらの定義をより洗練された概念へとさらに磨き上げていくことが必要となるのです。
・・・
次回記事:自然現象には存在しない合目的的で必然的な生命に特有の二つの定義とは?、生命とは何か?③
前回記事:生物の四つの定義とは何か?クモとイチョウの木のたとえ、生命とは何か?①
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