朝三暮四の故事の教訓が快楽計算において成立しない理由とは?快楽計算とは何か?⑧
前回考えたように、
快楽計算を構成する第四の要素である時間的な遠近性の概念に基づくと、
未来の快楽については、現在から時間的に遠い未来であるほど、その快楽が実際に実現する確率は低くなっていくことから、現在から近い未来の快楽ほど価値が高く、遠い未来の快楽ほど価値が低く見積もられるという法則が導かれることになります。
そして、
こうした快楽と効用における時間的な遠近性の法則に従うと、
例えば、朝三暮四といった言葉についても、それが故事によって示されている教訓の通りには、現実の世界においては成立していないとも考えられることになるのです。
『荘子』の「斉物論篇」における朝三暮四の故事
朝三暮四というのは、
中国の戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)を生きた思想家である荘周(そうしゅう、または荘子(そうし))の思想が記された書物である『荘子』(そうじ)の第二篇「斉物論篇」(せいぶつろんへん)の中に出てくる中国の故事であり、
それは、一般的には、以下のような内容の教訓を示す故事であると伝えられています。
・・・
昔、中国の春秋時代(紀元前770年~紀元前403年)の列国の一つである宋(そう)の国に、
狙公(そこう、「狙」は猿のことを表す漢字で、「公」はこの場合主君や主人のことを表す意味になるので、「狙公」で猿飼いの主人といった意味になる)と呼ばれる猿回しの老人がいました。
その狙公がある時、飢饉に見舞われて、猿たちに分け与える食糧が足りなくなったので、
その日の朝、自分が飼っている猿たちに対して、いままで朝と夕に四つずつ与えていたトチの実(ドングリに似た丸く濃い色の木の実)の数を朝に三つ、暮れに四つの朝三暮四にしたいと言って、猿たちに三つずつトチの実を配ろうとします。
すると、猿たちは、自分が今もらえる実の数が少なくなることに対して怒り狂い、彼の仕打ちに対して強く反発したので、狙公はしばらく考えてから、猿たちに対して次のように提案し直すことにします。
それでは、朝に四つ、暮れに三つの朝四暮三ではどうか?と。
すると、今度は猿たちは、自分が今もらえる実の数が三つから四つに増えたことに満足して、喜んでこの提案を受け入れることになり、
こうして狙公は、猿たちに与える一日のトチの実の数を八つから七つに減らすことにまんまと成功することになったのです。
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そして、以上のような朝三暮四の話は、一般的には、
一日もらえるトチの実の数はどちらも七つで変わらないのに、今もらえる実の数は三つから四つに増えるという目の前の利益にとらわれて、朝三暮四では怒り、朝四暮三では喜ぶという猿たちの愚かさを示す故事であり、
それは、実際には同じ物事であるのに、全体を俯瞰して捉えることができずに目先の違いにとらわれて一喜一憂してしまう人間の愚かさを猿にたとえて戒めている教訓として捉えられることになるのです。
快楽計算において朝三暮四の故事の教訓が成立しない理由とは?
しかし、
以上のような朝三暮四の教訓が、先に三つ、後に四つもらう場合でも、先に四つ、後に三つもらう場合でも、全体でもらえる数の合計が七つで同じであるならば、どちらの場合でも、朝四暮三でも朝三暮四でも全体の効用は同じであるということを自明の理だとしているのに対して、
前回考えたような快楽の時間的な遠近性の要素も考慮に入れる、功利主義における快楽計算の観点に立つと、
朝四暮三と朝三暮四で実際にもらえる予定のトチの実の数の総数は同じでも、その時間的な先後関係によって、現実における実際の効用や快楽のあり方は異なってくると考えられることになります。
例えば、
上記の狙公と猿の話においても、一週間後には飢饉がもっとひどくなって、その日の夕方に狙公がやっぱり夕方も三つしかあげられないと言い出すかもしれませんし、
そう遠くないある日に、老人である狙公の寿命が尽きて、その日の昼頃に亡くなってしまったとすると、結局、猿たちはその日の朝にもらった分のトチの実を最後に、それ以降は狙公からトチの実を受け取れないことにもなりうるので、
このような場合は、朝四と朝三の一個の差の分だけ、朝四暮三よりも朝三暮四の方が、その当日に限っては、実際に実をもらえる数が少なくなってしまうと考えられることになります。
こうした考え方は、以下のような話の場合で考えるとより分かりやすくなると思われます。
例えば、
ある仕事を請け負う時、その契約で得られるお金の総量が同じである場合に、前金で受け取れる額が多い契約と後払いの金額が多い契約とでは、お金を受け取る側にとってどちらの契約の方がより有利な契約か?という問題について考えてみることとします。
すると、
仕事を引き受けてから業務が完了するまでの間に、相手が途中で心変わりしてキャンセルを申し出て、後払いの分は払わずにとんずらしてしまう可能性や、契約期間中に相手の会社が倒産してしまうような可能性もゼロとは言えないので、
そうしたリスクをなるべく小さくするためには、契約金額の総額が同じならば、前払いの方が後払いよりも多い契約、すなわち、朝三暮四よりも朝四暮三の契約の方がお金を受け取る側にとってより有利な効用の大きい契約であると考えられることになるのです。
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以上のように、
快楽の時間的な遠近性の要素も考慮に入れる快楽計算の観点においては、
同じ快楽や効用の量であっても、現在から近い未来の快楽ほど価値が高く、遠い未来の快楽ほど価値が低いとみなされることになるので、
このような快楽計算の観点に立つと、朝四暮三でも朝三暮四でも得られる予定のトチの実の数は同じなのでどちらも実際には同じ物事であると考える朝三暮四の故事の教訓は必ずしも正しいとは言えないということになります。
そして、むしろ、
朝三暮四よりも朝四暮三の方が実際にはわずかに得られる快楽と効用が大きいと考えられることになるので、朝三暮四の方を喜んだ猿たちの判断の方がある意味では正しいと考えられることになるのです。
つまり、
結局、後にどんな不測の事態が起こるか分からない以上、もらえるものはもらえるだけ先にもらっていた方が、後の不測の事態に備えて活用の幅が広がるので、
朝三暮四よりも朝四暮三の方が現実的には有利な可能性の高い選択であるとも考えられるということです。
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そして、次回からは、
ここまでのシリーズで考えてきた快楽の強度、持続性、確実性、遠近性という四つの基本的要素についての考察を踏まえたうえで、
多産性、純粋性、そして適用範囲という三つの派生的要素についても考えを進めていきたいと思います。
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次回記事:快楽の多産性とは何か?快楽の連鎖的な影響関係と副次的な快楽、快楽計算とは何か?⑨
前回記事:時間的な遠近性に基づく未来の快楽の価値の逓減の法則、快楽計算とは何か?⑦
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