勇気とは魂が持つ思慮ある忍耐強さである、ソクラテスの問答法とは何か?③

前回書いたように、プラトン著の対話篇『ラケス』における勇気についての知の論駁においては、

将軍ラケスが最初に提示した「勇気とは、敵を前にして逃げないことである」という定義は、ソクラテスによって論駁され、その主張は退けられてしまうことになります。

そして、

どのような場合にも通用する勇気普遍的な定義とは何なのか?と、さらなる勇気についての知の探究を迫ってくるソクラテスに対して、

将軍ラケスは、勇気についての第二の定義を提示することになります。

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勇気とは魂が持つ一種の忍耐強さである

前回のソクラテスの論駁による批判を受けて、ラケス自身が彼なりによく考え直したうえで提示した改良版であるこちらの勇気の定義において、

ラケスは、今度は、

勇気とは魂が持つ一種の忍耐強さである」と主張することになります。

今回の勇気の定義においても、前回のラケスの主張と同様に、敵を前にして逃げないこと勇気であるとされるのですが、

今回はそれに加えて、前回のソクラテスの論駁で述べられていたような、先の勝利を見据えた戦略の一環としての戦略的撤退といった判断についても、それは勇気に含まれ得るとされることになります。

つまり、

敵軍を前にして、戦いの恐怖に駆られて逃げたくなるのを我慢して、その場にとどまって戦い続けることはもちろん勇気ある行動ではあるが、

それと同様に、

すぐに戦いを挑まずに、いったん退くことも、それが敵軍と今すぐにでも戦って早く決着をつけたいとはやる気持ちを我慢して反撃の機会を待ち続けるための撤退であるならば、そうした判断もまた勇気であると解釈できるということです。

このように、

ラケスによる勇気の第二の定義においては、前回のソクラテスによる批判を踏まえたうえで、そうした批判と吟味に新たに対応したより洗練された勇気の定義が導き出されていると考えられるのです。

思慮ある忍耐強さと無思慮な忍耐強さ

しかし、

ソクラテスは、こうしたラケスによる勇気の第二の定義にもまだ満足せず、彼の主張に対して、新たに以下のような論駁を加えていくことになります。

まず、ソクラテスは、

勇気善美なるものであるはずだから、それは思慮あるものでなければならないと主張します。

つまり、

勇気悪ではなく善なるものである以上、それは、乱暴で無思慮な行為ではなく、配慮のある思慮深い行為によってもたらされるものでなければならないということです。

そして、それゆえ、ソクラテスは、

ラケスが言う通り、勇気が魂が持つ一種の忍耐強さであるとするならば、それは、単なる忍耐強さではなく、思慮ある忍耐強さでなければならないと主張します。

つまり、

単に忍耐強いとは言っても、

例えば、

飲み会で飲めないお酒を我慢して一気飲みするとか、周りから白い目で見られるのを我慢してバカ騒ぎをするといった行為における無思慮な忍耐強さは、

結局、ただの痩せ我慢や周りの状況を顧みない無鉄砲な迷惑行為に過ぎないことになってしまうので、そうした無思慮な忍耐強さを勇気と呼ぶことはできないということです。

しかし、

ラケスによる勇気の定義においては、「敵を前にして逃げない」という第一の定義においても、「魂が持つ一種の忍耐強さ」という第二の定義においても、

例えば、

このまま戦っていれば全滅してしまうといった明らかに劣勢な状況にあっても、味方や家族の命に危険が及ぶことを顧みずに意地でも逃げずに戦い続けるといった行為は排除できないことになるので、

こうした無思慮に危険を冒す行為も勇気ある行為の内に含まれてしまうと考えられることになります。

したがって、

ラケスにおける勇気の定義では、本当の意味での勇気ではない痩せ我慢や無鉄砲な行為も勇気の内に含まれてしまうことでなるので、

ラケスによる勇気の定義は、第一の定義も第二の定義も共に勇気という徳のあり方について汲み尽くされていない不適切なものとして退けられ、

ラケスは、自らがよく知っていると主張していた勇気の徳について、実際には十分に知ってはいなかったということがソクラテスの論駁によって明らかにされることになるのです。

・・・

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以上のように、

ソクラテス猛将ラケスとの勇気の徳に関する議論では、

ラケスがはじめに提示した、単に「敵の前から逃げないこと」という勇気についての定義よりは、

ソクラテスの問答法に基づく論駁を経て、ラケス自身によって新たに提示された「勇気とは魂が持つ一種の忍耐強さである」という定義の方が、より洗練された定義となっていて、その分、勇気という徳についての知の探究が進んでいると考えられることになります。

しかし、

ラケスが提示したこうした新たな勇気の定義も、ソクラテスによる徹底的な論駁知の吟味によって、

それは、勇気普遍的な定義としては、いまだ十分ではないことが明らかにされ、それゆえ、勇気の知についてのさらに深い探究が求められていくことになるのです。

・・・

そして、次に、

こうした勇気についての議論を引き継ぐ新たな対話相手として、

勇猛果敢な戦い方によって名を挙げてきた猛将ラケスに続いて、今度は、理詰めの采配を振るう知性派の武将として知られていた知将ニキアスが新たに選ばれ、

ソクラテスの問答法による勇気の徳についての知の探究がさらに深められていくことになるのです。

・・・

次回記事勇気とは何か?恐れるべきものと恐れるべきでないものを分かつ善悪の知、ソクラテスの問答法とは何か?④

前回記事:敵を前にして逃げない勇気と、勇気ある戦略的撤退、ソクラテスの問答法とは何か?②

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