ソクラテスに弟子は存在しない?『ソクラテスの弁明』の教師観と職業教師としてのソフィストとの差異
ソクラテスの弟子としては、『ソクラテスの弁明』や『パイドン(魂の不死について)』などのソクラテスが登場人物となる数多くの対話篇を書き記した哲学者であるプラトンを筆頭に、
アリスティッポスやアンティステネス、エウクレイデスといった小ソクラテス学派に属する哲学者、クリティアスやアルキビアデスといった政治家たち、そして、軍人であり著述家でもあったクセノポンなど多彩な人物の名が挙げられることになります。
しかし、その一方で、
ソクラテスの言行に従うと、彼自身が自分の弟子であると思っていた人物は一人もいなかったとする説もあります。
『ソクラテスの弁明』における彼自身の教師観とソフィストとの差異
冒頭にも挙げた『ソクラテスの弁明』の中で、ソクラテスは、アテナイ市民による法廷の場で裁判にかけられることになりますが、それは、詩人メレトスから提起された以下のような訴状に端を発することになります。
「ソクラテスは、不正を行い、また、無益なことに従事する。彼は、地下ならびに天上の事象を探究し、悪事を曲げて善事となし、かつ、他人にもこれらの事を教授するがゆえに。」
(プラトン著、久保勉訳、岩波文庫『ソクラテスの弁明』、17頁)
つまり、
メレトスの訴状によると、ソクラテスは、社会にとって有害無益なことを研究し、その思想を自らが師となり、弟子となった他の人々へと教授したがゆえに、アテナイの民衆裁判の法廷へと引きずり出されることになったと主張されているということです。
そして、
こうしたメレトスを筆頭とする告発者たちからの誹謗に対して、
ソクラテスは、以下のような言葉で、自らの弁明を開始することになります。
明らかにこれは事実無根である。
また、諸君が誰かの口から、私が自ら僭称して人を教育すると称し、しかも、これに対して謝礼を要求すると聞かれたならばそれもまた同じく真実ではない。
もっとも、人が他を教育する能力を持っているとするならば、謝礼を受けるのは結構なことと自分にも思われる。例えば、レオンティノイ人ゴルギアスやケオス人プロディコスやエリス人ヒッピアスがそれである。
(プラトン著、久保勉訳、岩波文庫『ソクラテスの弁明』、17頁)
つまり、
ソクラテスは、自分は、誰かの師となってその人を教育すると称したこともなければ、ましてや、その教育の対価として謝礼や給与を受け取る職業についたこともないと主張しているということです。
しかも、その一方で、ソクラテスは、
もし誰かが他人に教育する能力を持っているとするならば、その人が対価として謝礼を受け取るのは当然だという趣旨のことも述べているので、
彼は、単に、自分が誰かに物事を教えたとしてもその対価として謝礼を受け取らないということを言っているだけではなく、
そもそも、自分には他者に物事を教え、誰かの師となるための能力自体がないということを自認していたと考えられることになるのです。
つまり、
ソクラテス自身が、自分には人々に物を教えるだけの特別な能力も優れた知識も持っていないということを自覚していたということであり、
こうした考え方が「無知の知」といったソクラテスの哲学探究における姿勢にもつながっていくと考えられることになります。
ちなみに、
上記の引用文の後段で、他人を教育する能力を持ち、その対価として謝礼を受け取る職業教師の例として挙げられているゴルギアスを筆頭とする、プロディコス、ヒッピアスという三人の名前は、
すべてソクラテスと同時代のアテナイで暮らし、弁論術や修辞学を教えることを生業としていたソフィストたちの名前ということになるのですが、
ソクラテスは、こうした知識や弁論の技術を教授して対価として金銭を受け取る職業教師としてのソフィストたちの思想と、
善美なるものについての普遍的真理をどこまでも果てしなく追究していく自らの哲学探究のあり方を明確に区別するために、このような語り方をしているとも考えられることになります。
いずれにせよ、
ソクラテスは、少なくとも、現代における学校の先生や大学の教授にあたるような職業としての教師のような社会的立場についたことは一度もなく、
むしろ、
彼は、そうした社会的立場に縛られて、自分自身の哲学探究の営みが歪められることを嫌って、特定の職業にはつかずに、できるだけ私人としての立場を貫いて生きることを心がけていたと考えられることになるのです。
つまり、
ソクラテスにとって、自らの哲学探究において、対話や論駁を行う相手は、教師と生徒の関係でもなければ、師と弟子の関係でもなく、
どちらか一方が上に立って、もう一方に一方向的に教えを授けるという師弟関係ではない、両者の対等な関係において、自分と他者の双方向的な知の吟味が行われていたということです。
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以上のように、
ソクラテス自身の自覚においては、彼はいかなる人物の師でもなければ、そもそも人に物事を教える教師としての資格も能力もない人物であったと考えられることになるので、
そういう意味では、
ソクラテス自身にとっては、自分と快く議論を交わしてくれる親しい友人や聡明な対話相手はいたとしても、
師弟関係や教師と生徒といった、どちらかが一方的に教えを授け、もう一方がその教えを学ぶといった意味での弟子は存在しなかったと考えられることになります。
しかし、その一方で、
プラトンやクセノポンといった、ソクラテスの思想と考え方に引きつけられ、彼を尊敬してやまなかった人々にとっては、
弁論術や自然哲学などについて教授を行ういかなる職業教師たちを差し置いても、ソクラテスこそが最も師として仰ぎたい人物であったことも確かであると言えることになり、
そういう意味においては、ソクラテスは、プラトンなどの多くの人物の心に残る言行を残し、その思想と人格によって人々に深く敬愛されることになった、多くの人々にとっての最良の師であったとも考えられることになります。
つまり、
ソクラテスは、彼自身の自覚においては、その生涯にいかなる弟子も持たなかったと考えられるのですが、そうした彼自身の意図には関わらずに、むしろ、そのようなソクラテスの姿勢があったがゆえに、かえって、多くの人々が彼の存命中も、その死後においても、彼を自らの師として仰ぎたいと考えるようになっていったということです。
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