『ライ麦畑でつかまえて』は誤訳か大胆な意訳か?ドイツ語やフランス語への翻訳は?
前回のライ麦パンの話に関連して、
「ライ麦」に関係する文学作品というと、
1951年に出版された J・D・サリンジャーの長編小説
『ライ麦畑でつかまえて』(The Catcher in the Rye)が有名ですが、
この題名の邦訳については、作者の真意を読み解いた優れた意訳とする説から、単なるひどい誤訳に過ぎないとする説まで様々な議論のあるいわく付きの訳ということになります。
そこで、今回は、
“The Catcher in the Rye“(ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ)の邦訳のあり方の是非について考えていく中で、
ドイツやフランスといった他の言語圏でのこの小説の題名の訳し方はどのようなものになっているのか?ということについても少し広げて考えてみたいと思います。
邦訳の『ライ麦畑でつかまえて』は誤訳なのか?それとも大胆な意訳なのか?
原題の”The Catcher in the Rye“(ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ)を直訳すると、「ライ麦畑で捕まえる人」といった意味になるので、
もちろん、これは、邦訳の『ライ麦畑でつかまえて』とは形式上は全く異なる意味を表すフレーズということになります。
つまり、
原題の”The Catcher in the Rye“は、
「(私が)ライ麦畑で(誰かを)捕まえる人である」という意味なのに対して、
邦題の方は、
「(誰かに)ライ麦畑で(私を)つかまえてほしい」という意味になるので、
主語と目的語が真逆の訳になってしまっているということです。
それでは、
この邦訳が直訳としては形式上誤訳であるとするならば、
本文の内容に即した場合には、ある程度正しい意訳となっているのかということですが、
この小説の題名となっている”The Catcher in the Rye“というフレーズについては、
本文中では、以下のような形で言及されています。
“I keep picturing all these little kids playing some game in this big field of rye and all. Thousands of little kids, and nobody’s around – nobody big, I mean – except me.
And I’m standing on the edge of some crazy cliff. What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff.…
I’d just be the catcher in the rye and all. I know it’s crazy, but that’s the only thing I’d really like to be. I know it’s crazy.“
(”The Catcher in the Rye”,Chapter 22)
そして、
上記のパラグラフ全体を直訳調に訳してみると、
例えば以下のようになります。
僕は、いつも心に思い描くんだ。大きなライ麦畑の真ん中で、小さな子供たちがみんなで遊んでいるところを。そこには何千という子供たちがいて、周りには誰もいない。大人は誰も。つまり、僕以外の大人は。
僕は、気違いじみた崖の縁に立っていて、僕がやるべきことは、崖から転げ落ちそうになる子供たちをみんな捕まえてあげることなんだ。…
僕は、ライ麦畑で(子供たちを)捕まえる人になりたいだけなんだ。僕は、それが狂ったことだってわかってる。だけど、僕が本当になりたいものはそれだけなんだ。それが狂ったことなのは分かっているけどさ。
つまり、
本文中で使われている表現においても、”The Catcher in the Rye“というフレーズは、あくまで、「(主人公が)ライ麦畑で(子供たちを)捕まえる」という意味で使われていて、
邦訳から連想されるような、主人公が誰かに捕まえられる、捕まえてほしいといった意味の表現は、本文中でも使われていないということになります。
深読みすれば、主人公が小さな子供たちが崖から落ちそうになるのを捕まえて助けてあげるような人になりたいということは、
主人公の潜在心理の内に、自分がもっと小さな子供だったときに、道を踏み外しそうになるのを止めて捕まえてくれるような大人がいてほしかったという思いがあったという解釈もできなくはないのですが、
その場合でも、題名の訳し方としては、本文の内容自体には即していない訳ということになるので、それは、意訳の範疇を超えた訳ということになってしまうと考えられます。
しかし、そうは言っても、
より適切な邦題を考えるために、原題をそのまま直訳して「ライ麦畑で捕まえる人」としても、何のことを言っているのかさっぱり分かりませんし、
本文中で意味する内容をそのまま補って「ライ麦畑で子供を捕まえる人」としてしまうと、まるで子供を誘拐しようとする頭がおかしい人のことを書いた本のようになってしまうような気もします。
ちなみに、
1945年にアメリカの雑誌に掲載された、この小説の原型となるサリンジャー自身の短編小説の題名が”I’m Crazy“(僕は狂ってる)というタイトルになっているように、
この小説自体は、『ライ麦畑でつかまえて』という邦訳の題名から連想されるようなさわやかな青春物語や恋愛物語でも何でもなく、
主人公であるホールデンの攻撃的な感情と願望が一人称の視点でストレートにさらけ出された、まさに狂人の心の中をそのまま覗いたような作品であるとも言えなくもないのですが、
だからといって、そのまま本文の内容通りに「ライ麦畑で子供を捕まえる人」と訳してしまっては、それは、題名の訳し方としては正しくても、その正しい訳の本は、結局、本屋では誰の手にも取ってもらえなくなってしまいそうな気もします。
つまり、
そういう意味では、原題の”The Catcher in the Rye“を『ライ麦畑でつかまえて』とした邦訳は、本屋で実際に本を手に取って読んでもらうためのキャッチフレーズの意味も含めた大胆な意訳としては、成功した邦訳であるとも考えることができるということです。
ドイツ語やフランス語における『ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ』の訳は?
それでは、参考までに、
“The Catcher in the Rye“(ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ)という原題の訳は、ドイツやフランスといった他の国の翻訳ではどうなっているのか?というと、
まず、ドイツ語では、”The Catcher in the Rye”の訳は、
“Der Fänger im Roggen“(デア・フェンガー・イム・ロッゲン)
となります。
ドイツ語で”Fänger “(フェンガー)は「捕まえる人」、”Roggen“(ロッゲン)は「ライ麦、ライ麦畑」という意味なので、
ドイツ語訳の”Der Fänger im Roggen”は、「ライ麦畑で捕まえる人」という意味になり、英語の原題をそのまま直訳した訳し方ということになります。
これに対して、
フランス語では、”The Catcher in the Rye”の訳は、
“L’Attrape-cœurs“(ラトラプ・クール)となりますが、
フランス語の”attrape“(アトラプ)は、もともとは、英語の“catch“(捕まえる)に相当する動詞である”attraper“(アトラぺ、つかむ、捕まえる)から派生した単語であり、
例えば、
フランス語で”attrape-mouche“(アトラプ・ムーシュ)と言うと、
「ハエを捕まえるための罠」すなわち「ハエ取り紙」のことを意味することになります。
そして、
フランス語の”cœur“(クール)は英語の“heart“(ハート)と同じ「心臓、心」を意味する単語なので、
フランス語訳の”L’Attrape-cœurs“は、そのまま日本語に訳すと
「心を捕まえる罠」「心の罠」といった意味になると考えられます。
このように、
『ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ』のフランス語の訳の方は、
邦訳とはまた違った意味での大胆な意訳となっていると考えられることになるのです。
・・・
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