「すべてのクレタ人は必ず嘘をつく」がパラドックスではない証明、クレタ人のパラドックスがパラドックスとして成立しない理由とは?③
前回書いたように、
クレタ人のパラドックスと呼ばれる議論が
パラドックスとして成立しているのかどうかは、
「すべてのクレタ人は必ず嘘をつく」という命題において
パラドックスが成立するか否かにかかっていると考えられることになります。
そこで、今回は、
あるクレタ人が「すべてのクレタ人は必ず嘘をつく」と言った場合、
その発言は真であると言えるのか?それとも偽と言えるのか?それともどちらとも言えずにパラドックスへと陥るのか?という問題について、
その発言が真であると仮定した場合と偽である仮定した場合のそれぞれにおいて
どのような結論が帰結することになるのか?ということを検証していくことによって詳しく考えてみたいと思います。
「すべてのクレタ人は必ず嘘をつく」が真である場合
まず、
「すべてのクレタ人は必ず嘘をつく」という命題が真である場合、
どのような結論が必然的に帰結することになるのかを考えると、
それは以下のような議論となります。
あるクレタ人が「すべてのクレタ人は必ず嘘をつく」と言ったとき、
この発言が真であると仮定すると、
発言者であるクレタ人は、真実を語っていることになりますが、
これは、仮定において真であるとされた「すべてのクレタ人は必ず嘘をつく」という命題の内容と矛盾すると考えられることになります。
つまり、
すべてのクレタ人は必ず嘘をつくはずなのに、
そう発言しているクレタ人自身は嘘をついていないという矛盾が生じてしまうと考えられることになるのです。
「すべてのクレタ人は必ず嘘をつく」が偽である場合
それでは、次に、
「すべてのクレタ人は必ず嘘をつく」という命題が偽である場合、
どのような結論が帰結することになるのか考えると、
それは以下のような議論となります。
あるクレタ人が「すべてのクレタ人は必ず嘘をつく」と言ったとき、
この発言が偽であると仮定すると、
発言者であるクレタ人は、嘘をついていることになり、
すべてのクレタ人は必ず嘘をつくわけではなく、
一部のクレタ人は真実を語ることもあると考えられることになります。
しかし、
一部のクレタ人が真実を語ることもあるということからは、すべてのクレタ人が絶対に嘘をつかないということは帰結しないので、
「一部のクレタ人は真実を語ることもある」という命題は、
「一部のクレタ人は嘘をつくこともある」という命題と両立可能であり、
発言者であるクレタ人が、嘘をついているということと、
仮定から導かれた「一部のクレタ人は真実を語ることもある」という命題の内容は互いに矛盾せず、同時に成立することが可能と考えられることになります。
つまり、
「すべてのクレタ人は必ず嘘をつく」という命題が偽であるとした場合でも、
一部のクレタ人が嘘をつくということは可能なので、
この命題が偽であることと、その命題文の発言者であるクレタ人が嘘をついているということは、矛盾せずに両立可能と考えられることになるのです。
「クレタ人のパラドックス」がパラドックスではない証明
以上のように、
「すべてのクレタ人は必ず嘘をつく」という命題について、
その命題が真である場合と偽である場合の双方についてそれぞれ考えていくと、
前者の議論が矛盾に陥るのに対して、
後者の議論では矛盾が生じないことが論証されるので、
あるクレタ人が「すべてのクレタ人は必ず嘘をつく」と言った場合、
後者の仮定である、この発言は偽であるという仮定が必然的に正しいと考えられることになります。
つまり、
この命題が真であると仮定すると矛盾が生じ、
偽であると仮定した場合では矛盾が生じないことから、
背理法により、この命題は偽であると結論づけられることになるので、
この発言がなされた時点で、「一部のクレタ人は真実を語ることもある」ということ、すなわち、クレタ人には嘘をつかない人間が少なくとも一人はいるということが結論づけられることになるのです。
そして、
ある命題においてパラドックスが成立するためには、
その命題を真であると仮定しても偽であると仮定しても、
どちらの場合においても矛盾する結論が帰結することが必要なので、
偽であると仮定した場合には矛盾が生じない上記の議論においては、
パラドックスは帰結しないと考えられることになります。
つまり、
「すべてのクレタ人は必ず嘘をつく」という命題は、
それを真であると仮定すると矛盾に陥るが、偽であると仮定すれば論理的整合性を満たす無矛盾な解釈が成り立つ命題なので、
この命題は、パラドックスではなく、命題の内容が真ではない命題、すなわち、
単なる偽の命題であると考えられることになるのです。
そして、
クレタ人のパラドックスの議論を表す「クレタ人はいつも嘘をつく」という命題についての可能な4パターンの解釈である
①「一部のクレタ人はたいてい嘘をつく」
②「一部のクレタ人は常に必ず嘘をつく」
③「すべてのクレタ人はたいてい嘘をつく」
④「すべてのクレタ人は常に必ず嘘をつく」
において、
前回考察したように、
「一部の」という特称命題や、「たいてい」といった蓋然性が関与する判断が含まれる①~③の3パターンの解釈においては、
その命題を真であると考えても矛盾は生じず、パラドックスは成立しないことになるので、
これに、今回の論証における結論である
「すべてのクレタ人は必ず嘘をつく」(④の解釈)という命題においては、
その命題を偽であるとした場合に矛盾が生じず、パラドックスは成立しないということを加えると、
①~④の4パターンの解釈のいずれにおいても
パラドックスは成立しないと考えられることになります。
つまり、上記の①~④の4パターンの命題解釈においては、それぞれ
①「一部のクレタ人はたいてい嘘をつく」=真の命題
②「一部のクレタ人は常に必ず嘘をつく」=真でも偽でもありうる命題
③「すべてのクレタ人はたいてい嘘をつく」=真でも偽でもありうる命題
④「すべてのクレタ人は常に必ず嘘をつく」=偽の命題
という解釈が成り立つことになり、
上記のいずれの解釈においても、
パラドックスは不成立という結論になるので、
クレタ人のパラドックスと呼ばれる議論は、それが慣例上「パラドックス」と呼ばれてはいるものの、論理学的にはパラドックスではない議論であると結論づけられることになるのです。
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このシリーズの前回記事:特称命題と蓋然性が関わる3つの命題解釈における無矛盾性の証明、クレタ人のパラドックスがパラドックスとして成立しない理由とは?②
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