特称命題と蓋然性が関わる3つの命題解釈における無矛盾性の証明、クレタ人のパラドックスがパラドックスとして成立しない理由とは?②

前回書いたように、

クレタ人のパラドックスと呼ばれる議論における
クレタ人はいつも嘘をつく」という命題は、論理学的には、

①「一部のクレタ人はたいてい嘘をつく
②「一部のクレタ人は常に必ず嘘をつく
③「すべてのクレタ人はたいてい嘘をつく
④「すべてのクレタ人は常に必ず嘘をつく

という4パターンの主張に分かれる形で解釈できると考えられることになります。

そして、

上記の4パターンいずれの解釈においても
実際にパラドックスが成立することはないと考えられることになるのですが、

それは、以下のような議論によって論証されることになります。

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論理学における弱い判断と強い判断、特称命題と全称命題、蓋然性と必然性

まず、

上記の命題文の4パターンの解釈のうち、
①~③の3パターンの解釈においては、

一部の」という特称命題を構成する判断や、
たいてい」という蓋然性(確かさの度合い確率)が関与する判断が含まれることになりますが、

そもそも、このような特称命題蓋然性が関わる命題においては、
論理学上の議論だけで矛盾が帰結するケースは非常に少ないと考えられることになります。

これと反対の概念である全称命題必然性が関与する判断においては、
すべての~は必ず…である」といった
より断定的で強い判断が下されることになりますが、

それに対して、

特称命題蓋然性が関与する判断においては、
「すべては~だ」とか「必ず~だ」などとは決めつけずに

少なくても一部は~だ」とか「たいていは~だ」といった
解釈の幅に広がりのある緩やかな主張がなされることになります。

例えば、

すべての鳥は必ず飛ぶことができる」といった命題については、

「そんなはずはない、だって、ペンギンは空を飛べないから」などと言って、
すぐにその議論を否定したり、矛盾を指摘することができますが、

一部の鳥は飛ぶことができる」あるいは「たいていの鳥は飛ぶことができる」といった命題においては、

「それはそうだろう、だって、ハトにしろカラスにしろツバメにしろ飛ぶことができる鳥がある程度いるのは確かだから」というように、その議論自体を真っ向から全否定することは難しい構造になっていると考えられることになります。

このように、

特称命題はや蓋然性が関与する判断を含む命題においては、
より緩やかで弱い主張がなされることになるので、その議論の内に矛盾パラドックスが生じる危険性も低いと考えられることになるのです。

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①~③の命題解釈における無矛盾性の証明

したがって、

特称命題蓋然性が関与する判断が含まれる①~③の解釈においては、
パラドックスが生じないということは比較的容易に証明できると考えられることになるのですが、

①~③の3パターンの解釈において、矛盾が生じない解釈が可能であることを示すための論証は、具体的には以下のような議論となります。

・・・

例えば、

①の解釈にしたがって、
あるクレタ人が「一部のクレタ人はたいてい嘘をつく」と言ったと考える場合、

この発言が真であると仮定すると、
発言者であるクレタ人は真実を語っていることになりますが、

命題文では、「一部のクレタ人はたいてい嘘をつく」と述べているだけで、

この命題が真実でも、他の一部のクレタ人はたいてい真実を語るかもしれないし、
たいていは嘘をつくクレタ人がその時はたまたま真実を語っているということもあり得ると考えられるので、

上記の発言が真であることと、命題文の発話者であるクレタ人が真実を語っているということは矛盾せずに同時に成立可能と考えられることになります。

それと同様に、

②の解釈にしたがって、
あるクレタ人が「一部のクレタ人は常に必ず嘘をつく」と言ったと考える場合でも、

③の解釈にしたがって、
あるクレタ人が「すべてのクレタ人はたいてい嘘をつく」と言ったと考える場合でも、

他の一部のクレタ人が真実を語ることや、たいてい嘘をつくクレタ人がその時だけたまたま真実を語っている可能性が排除できない以上、

上記の①~③のいずれの解釈においても、その発言を真であると仮定し、発言者であるクレタ人が真実を語っていると考えても、命題文の内容は矛盾なく成立可能であると考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

一部の」という特称命題や、「たいてい」といった蓋然性が関与する判断が含まれる①~③の3パターンの解釈、すなわち、

①「一部のクレタ人はたいてい嘘をつく
②「一部のクレタ人は常に必ず嘘をつく
③「すべてのクレタ人はたいてい嘘をつく

においては、

その発言が真であることと、その命題文の発話者であるクレタ人が真実を語っているということは矛盾せず同時に成立可能ということになり、

上記の①~③のいずれの解釈においても、
パラドックスは成立しないと考えられることになります。

したがって、

冒頭に挙げた4パターンの解釈のうちで
最も断定性の強い主張である

④「すべてのクレタ人は常に必ず嘘をつく」という命題において、
パラドックスが生じるか否か?という問題についての検証が

クレタ人のパラドックスと呼ばれる議論が
本当にパラドックスとして成立しているのかどうかを決定づける
最も重要な論証と考えられることになるのです。

・・・

このシリーズの前回記事:クレタ人のパラドックスがパラドックスとして成立しない理由とは?①、「すべて」と「一部」、「たいてい」と「常に必ず」に基づく命題の4パターンの解釈

このシリーズの次回記事:「すべてのクレタ人は必ず嘘をつく」がパラドックスではない証明、クレタ人のパラドックスがパラドックスとして成立しない理由とは?③

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