対立と矛盾を超越するロゴス、ヘラクレイトスとヘーゲルの弁証法哲学

以前にも引用した箴言の断片になりますが、
ヘラクレイトスは、その箴言の中で、
以下のように語っています。

人間は、どうして一なるものが、
自己自身と反目しつつ、同時に、
自己自身と一致するのかということを理解しない。

それは、弓や竪琴にみられるような
逆向きに働き合う調和なのである。

(ヘラクレイトス断片・51)

この断片の後段については、
逆向きに働き合う調和と張り渡された一本の弦
で詳しく考えたので、

今回は、前段の部分の、

一なるもの
自己自身と反目しつつ、同時に、
自己自身と一致する

ということについて、

さらに掘り下げて考えてみたいと思います。

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同一と対立の同一性

この箴言は、

ヘラクレイトスが言う真理である

不変なる一なるロゴス論理理法)がもたらす
秩序と調和とはいかなるものであるのか?

ということについて語っているのですが、

その箴言の前段部分で述べられている

自己自身と反目するもの」とは、

自分自身に対立する存在、

そして、

自己自身と一致するもの」とは、

自分自身と同じ存在

ということを意味します。

そして、

ヘラクレイトスは、

自己自身と一致するもの」と「自己自身と反目するもの」

すなわち、

自分自身と同じ存在と、それに対立する存在とが

一なるもの」である

と言っているので、

この箴言は、

自分自身と同一である存在と、自分自身に対立する存在とが、
一にして同一である

と言っていることになります。

つまり、

ヘラクレイトスが言う真理、すなわち、
一なるロゴスとは、

自分自身と同一であるものが、同時に、
自分自身への対立でもあり、

同一と対立の全体がまた一つの同一である

という

同一と対立の同一性

として捉えることができるということです。

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対立と矛盾を超越するロゴス

しかし、

このいかにもややこしい、
論理がこんがらかった表現からもわかる通り、

自分自身と同一であるものが同時に、対立するものであり、
その同一と対立の全体が同一でもあるというのは、

一見すると矛盾する表現のようであり、

それは事実、現実の世界においては、
矛盾そのものであるのですが、

ヘラクレイトスにおいては、
そうした対立矛盾自体が、単なる論理破綻ではなく、

現実の世界の背後にある根源的原理である
ロゴスの隠された真なる姿として

むしろ、

肯定的な意味で捉えられている

と考えられるのです。

つまり、

ヘラクレイトスは、

現実の世界の背後に在り、
すべての存在を司っている根源的原理としての

ロゴスlogos論理理法)は、

現実の世界、通常の論理を超えた、
対立矛盾をも超越する存在である

と考えていたということです。

このような、通常の論理を超え、
矛盾超越する論理展開というと、

互いに矛盾対立する2つの論理的主張である

テーゼThese正命題定立)と
アンチテーゼAntithese反立命題反定立

アウフヘーベンaufheben止揚揚棄)することによって統合し、

両者の矛盾と対立を乗り越えた
超越した次元へと議論を引き上げていく

という

破格の論理展開によって、
ダイナミック生きた真理を捉えようとした

ヘーゲルの弁証法哲学

が有名ですが、

そういう意味では、

こうしたヘラクレイトスの思考は、
遠く、ヘーゲルの弁証法哲学へとつながっている

と考えることもできるかもしれません。

・・・

以上のように、

ヘラクレイトスにおいて、

すべての存在の根源的原理である
不変なる一なるロゴスとは、

同一対立を一つに結びつける同一性であり、

そのロゴスの超越的な同一性によって、

同一と対立、肯定と否定

という

正反対の方向へと働く二つの力
の闘争と拮抗に基づく

動的な調和
世界全体にもたらされている

と考えられるのです。

別な言い方をするならば、

闘争の中にこそ真なる調和が、
対立においてこそ真の同一が、
否定においてこそ真の肯定が、
変化の中にこそ不変なるものが見いだされ、

万物が変化するということ自体が不変であり、
同一であるということが、

不変なる一なるロゴス論理理法)がもたらす
世界の秩序と調和の真の姿であり、

それが、ヘラクレイトスの哲学における真理である

ということになります。

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