フィリピの町の建設とパンガイオンの金鉱開発:フィリッポス2世によるマケドニアの軍制改革と中央集権化
前回書いたように、ペロポネソス戦争後のマケドニアにおける王権争いのなかで、マケドニア国内における争いを調停するための人質としてテーバイへと送られることになったフィリッポスは、
この地での人質生活においてテーバイの名将であったエパミノンダスから重装歩兵の密集陣形であるファランスクの戦術や、斜線陣と呼ばれる新たな戦術を学ぶことによってギリシア世界における最新の軍事的知識に深く精通していくことになります。
そしてその後、マケドニアの王として即位することになったフィリッポスは自らの軍事的な才能と知識とを生かしていくことによってマケドニアの軍制改革へと乗り出していくことになるのです。
フィリピの町の建設とパンガイオンの金鉱開発
紀元前359年に、マケドニアの人々の推挙によって新たにマケドニア王として即位することになったフィリッポス2世は、
すぐにマケドニア国内における軍制改革を中心とする政治改革を進めていくと同時に、経済面においては、パンガイオンの金鉱開発を進めていくことになります。
マケドニアとトラキアの国境地帯に位置するパンガイオンの地は、古くから金の産地として知られていて、周辺の諸都市がその支配をめぐって争いあう係争の地となっていたのですが、
マケドニア王の座についたフィリッポス2世は、すぐにこの地に軍を送り込んで占領下に置くと、パンガイオンの地にすぐ北に隣接する土地に自らの名を冠したピリッポイと呼ばれる都市を建設することになります。
ちなみに、こうした古代ギリシア語においてピリッポイ(Φίλιπποι)と呼ばれている町は、ラテン語や英語ではフィリピ(Philippi)と表記されることになりますが、
こうしたフィリピと呼ばれる町は、使徒パウロの書簡とされている新約聖書の「フィリピの信徒への手紙」などでも知られるキリスト教にとっても馴染み深い町として位置づけられることになります。
そして、こうして新たに建設されたピリッポイの町を軍事拠点としてマケドニアによる周辺地域の支配を確立したフィリッポス2世は、その後、パンガイオンの金鉱開発を急速に進めていくことになり、
ピリッポイの町の近くで新たな金鉱が発見されることになると、この地に造幣所を築いて良質で精巧な金貨を鋳造していくことによって、その後のマケドニアにおける軍事改革を行っていくための十分な資金源を手にすることになるのです。
フィリッポス2世によるマケドニアの軍制改革と中央集権化
こうしてフィリピの町の建設とパンガイオンの金鉱開発によって十分な資金源を手にすることになったフィリッポス2世は、その後、さらに本格的な軍制改革へと乗り出していくことになります。
まずは、それまで一騎打ちなどの単騎による単独行動を得意としていた貴族を中心とする騎兵たちを騎兵隊へと組織することによって全体的な軍の陣形の内へと組み入れたうえで、
槍を装備した重装歩兵に対抗するために騎兵の側にも槍を装備させることによって、敵の重装歩兵の陣形に対する騎兵の突破力を強化していくことになります。
また、自軍の側の重装歩兵の戦術についても、かつて、テーバイでの人質生活におい名将エパミノンダスから学んだギリシアの重装歩兵の戦術をさらに改良して、
自軍の重装歩兵の集団にサリッサと呼ばれる通常よりも長大な槍を持たせて密集隊を編成することによって重装歩兵同士の衝突においても武器の間合いの差を利用して有利を築いていく戦術システムを構築していくことになります。
そしてそれと同時に、フィリッポス2世は、こうした軍事改革における軍隊の組織化を通じた支配力の強化を背景として政治改革を進めていくことによって、
それまで貴族による発言権が強く、実質的には貴族政に近い政治体制にあったマケドニア王国を国王を中心とする中央集権的な国家へとつくり変えていくことになるのです。