記憶の連続性に基づく自己の同一性の規定とその問題点および脳の内部に蓄積される情報の同一性としての記憶の同一性の定義
前々回 と 前回の記事で書いてきたように、船の同一性をめぐる哲学的な議論のことを意味するテーセウスの船の問題の人間版にあたる議論、すなわち、
「ある人間が誕生してから寿命を全うして死んでいくまでの間に成長や老化を経ていくことによって、自分自身を構成している要素が肉体的な面においても精神的な面においても大きく入れ替わってしまった後においても、その人物は元の人間と同じ人間であると言えるのか?」
といった命題の形として示すことができる一人の人間としての自己の同一性をめぐる議論においては、
まずは、そうした一人の人間としての自己の同一性の根拠を、身体を構成している個々の細胞や、そうした全身の細胞の司令塔にあたる脳を構成している脳細胞の同一性の内に求めていくという考え方を提示していくことができると考えられることになります。
脳の内部に蓄積されていく情報の同一性としての記憶の同一性
そして、詳しくは前回までの記事で書いてきた通り、
人間の身体は、細胞レベルにおいては、身体を構成している大部分の細胞はもちろん、程度の差こそあれ、脳細胞の構成のあり方でさえも、成長と老化を経ていくなかで大きな変化が生じていってしまうことになると考えられ、
具体的には、20歳を過ぎると1日に10万個くらいのペースで脳細胞が死滅していくことになると考えられるほか、
神経細胞の分裂と分化が終わる前の段階にあたる小児の段階と成人の段階では、脳細胞の構成のあり方に大きな違いが生じていってしまうと考えられることになります。
したがって、
そうした人間の身体を構成している大部分の細胞の司令塔にあたる脳を構成している脳細胞自体の同一性といった物質的な側面からだけでは、時間の経過を経ても常に同一の人間として存在しているという一人の人間としての自己の同一性が成立することを根拠づけることはできないと考えられることになるのですが、
そうすると、次に、
それでは、そうした一人の人間としての自己の同一性は、脳細胞そのものではなく、そうした脳細胞の内部に蓄積されていくことになる情報の同一性、すなわち、記憶の同一性によって根拠づけることができるのではないか?
という考え方を提示していくことができると考えられることになります。
脳の記憶の連続性に基づく自己の同一性の規定とその問題点
そうすると、まず、
人間の脳に蓄積されている記憶というものは、自分がどのような人間であるのか?といったその人間の本質を決めていく人格や性格の形成に大きく関わっていると考えられることになるため、
そういった意味では、確かに、
大人へと成長した後になっても、それまでの人生で経験してきた子供時代の記憶が脳や心の内に蓄積されている限り、
そうした子供時代からの記憶の連続性によって、その人物の一人の人間としての自己の同一性が根拠づけられていくことになると捉えていくことも十分に可能であるとも考えられることになります。
しかし、その一方で、
こうした脳に蓄積されている記憶の同一性のみによって自己の同一性が保たれていると考えた場合、
そうした自己の同一性の実体としての記憶の総体というものは、時の流れのなかで新しい記憶が積み重ねられていくにつれてことによって、以前とは異なるものへと大きく変化していくことになるとも考えられることになります。
つまり、そういった意味では、
こうした人間の脳内へと蓄積されていくことになる情報の同一性や記憶の同一性といったものは、自己の同一性を肯定する根拠となると同時に、それを否定する根拠としても働いていくことになってしまうとも考えられることになるのです。
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次回記事:記憶喪失になった人は記憶を失う前の元の人物と同じ人間であると言えるのか?記憶を超えて維持される根源的な自己の同一性
前回記事:脳細胞の同一性に基づく自己の同一性の規定と子供の段階と大人の段階における自己の同一性の断絶の問題
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