テーセウスの船と人間の同一性との関係と身体を構成する個々の細胞を基準とした肉体的な面における自己の同一性の解釈

前回までの一連の記事で書いてきたように、哲学や論理学の分野における事物の同一性をめぐる議論のなかでは、しばしば、

ある船を構成しているすべての部品新しい部品へと交換されてしまった後でも、その船は元の船と同じ船であると言えるのか?

という命題の形へと集約されるテーセウスの船と呼ばれる哲学的な問題が提示されることになりますが、

こうしたテーセウスの船の問題は、実際には、これまでの記事のなかで取り上げてきた船や指輪といった無機物としての事物の存在についてではなく、

生物のような有機体、そのなかでも、特に、人間という存在の同一性をめぐる議論において、問題がより深まっていくことになると考えられることになります。

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テーセウスの船と人間の同一性および自己の同一性の問題との関係

そうすると、まず、こうした

「ある船を構成しているすべての部品新しい部品へと交換されてしまった後でも、その船は元の船と同じ船であると言えるのか?

という船の同一性をめぐる哲学的な命題を、人間の同一性をめぐる命題へと置き換えていくとすると、それは以下のような命題の形として提示し直すことができると考えられることになります。

「人間はその人物を形づくっている細胞などのすべての要素新しい要素へと変化しまった後においても、その人物は元の人間と同じ人間であると言えるのか?

人間は誕生してから寿命を全うして死んでいくまでの間に、成長や老化を経ていくことによって、自分自身を構成している要素が肉体的な面においても精神的な面においても大きく入れ替わっていくことになると考えられることになりますが、

そうしたなかでも、変わらずに維持されていくことになると考えられる一人の人物としての人間の同一性、すなわち、自己の同一性というのは、本当に存在していると言えるのか?

ということが大きな問題として浮かび上がっていくことになると考えられることになるのです。

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人間の身体を構成する個々の細胞を基準とした肉体的な面における人間の同一性の解釈

そこで、まず、

こうした人間の同一性をめぐる議論として捉え直されたテーセウスの船の問題について、肉体的な面、すなわち、人間の身体を構成している物質的な側面から考えていった場合、

人間の身体を構成している全身で60兆個にもおよぶ細胞は、だいたい、一日で数千億個ほどの細胞が新しい細胞へと入れ替わっていくことになるとされていて、

それぞれの身体の部分を構成している細胞の種類の違いに応じて、細胞の入れ替えの周期は異なるものの、全身を構成するすべての細胞のうちだいたい半分ほどの細胞23か月の間に、そして、6年ほども経つと大部分の細胞新しい細胞へと入れ替わっていくことになると考えられることになります。

そして、

これまでのテーセウスの船の議論において考察してきたように、一般的に、事物の同一性は、質料と形相あるいは部分と全体といった観点から説明していくことができると考えられ、

通常の場合、全体の構造が同じであっても、その事物を構成している大部分の部品新しい部品に入れ替わってしまっている場合には、それを元の事物と同じ事物と見なすことはできないと考えられることになります。

つまり、そういった意味では、

こうした人間の身体を構成する個々の細胞を基準とした肉体的な面からのみ人間という存在を捉えていくという観点に立った場合、

そうした人間の身体を構成している個々の細胞新しい細胞へと入れ替わっていくのにしたがって、個々の人間という存在自体も日々新しく生まれ変わっていくことになると考えられ、

そうした観点に基づくと、

少なくとも、その人物の身体を構成している大部分の細胞新しい細胞へと入れ替わってしまうことになる6年ほどの時が経過した後では、

同じ名前を持った社会的には同一人物とされる人間であったとしても、その人物は、論理学的な観点に基づく厳密な意味においては、

6年前の元の人物とはまったく異なる別の人間になってしまっているとも解釈していくことができると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:脳細胞の同一性に基づく自己の同一性の規定と子供の段階と大人の段階における自己の同一性の断絶の問題

前回記事:一つの船から二つの船ができる派生的なテーセウスの船の問題における事物の二重の同一性の問題

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