理性とは何か?②ヘラクレイトスの哲学におけるロゴスとしての理性の存在の捉え方
前回の記事で書いたように、理性という言葉は、その大本の語源となる意味においては、ギリシア語におけるロゴス(logos)という言葉に起源を持つ言葉であると考えられることになるのですが、
哲学史の流れのなかでは、特に、ソクラテス以前の古代ギリシアの哲学者として位置づけられているヘラクレイトスの哲学思想において、
こうしたロゴスとしての理性の存在のあり方についての深遠なる哲学的探究が進められていくことになると考えられることになります。
知性的原理であると同時に宇宙的原理でもあるヘラクレイトスの哲学におけるロゴスとしての理性の存在の位置づけ
冒頭でも触れたように、
古代ギリシア哲学において、はじめて明確な形でロゴスとしての理性の存在のあり方を哲学における重要な概念として位置づけたのは、
紀元前6世紀の古代ギリシアの哲学者であったヘラクレイトスであったと考えられることになります。
そして、
こうしたヘラクレイトスの哲学においては、彼が語ったとされる哲学思想がのちの時代において取りまとめられた断片集の冒頭部分において、具体的に以下のような形でロゴスとしての理性の存在についての言及がなされていくことになります。
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ロゴスは、ここに常にあるのに、
人々は、それを聞く前にも、聞いた後にも理解することがない。
万物はこのロゴスに従って生成しているにもかかわらず、人々はそのことを理解しないのである。
(ヘラクレイトス・断片1)
・・・
上記のヘラクレイトスの哲学思想のあり方が記されている断片の記述においては、
ロゴス(logos)と呼ばれる存在は、「ここに常にある」すなわち永遠不変の存在であるということが語られたうえで、
そうした永遠不変の実在、あるいは、普遍的な真理としてのロゴスの存在は、
人々が実際に耳にしていながら、それについて正しく理解することがないと書かれているように、それはある種の深淵なる真理や知識の存在へと通じるような人間の心における知的な心の働きのあり方として捉えられていると考えられることになるのですが、
その一方で、ここでは、
「万物がロゴスに従って生成する」とも語られているように、
それは同時に、現実の世界の内に存在するあらゆる事物の存在と秩序を司る宇宙的な原理のあり方としても捉えられていると考えられることになるのです。
認識と存在の両面において最上位に位置する究極の原理としての理性
また、
こうしたヘラクレイトスの哲学思想のあり方が示されている断片集のしばらく後の部分においては、ロゴスとしての理性の存在のあり方について、以下のように語っている記述も見いだされることになります。
「ロゴスに聴き従い、それに合わせて万物は一であるということを一致して語ることこそが知である。」(ヘラクレイトス・断片50)
つまり、断片のこの部分の記述においては、
改めて、ロゴスとしての理性の存在は、それについて人々が聴き従っていくことができるような知性的な原理のあり方として捉えることができるということが示されたうえで、
そうしたロゴスとしての理性は、万物を一つに統一していく力を持った存在であると同時に、それは人々がそれについて互いに一致して共通して語ることができるような普遍的な原理であるということが示されていると考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
こうしたソクラテス以前の古代ギリシアの哲学者であるヘラクレイトスの哲学思想においては、
ロゴスとしての理性の存在は、すべての人間に共通する普遍的な論理的思考の原理のあり方を意味すると同時に、この世界の内に秩序をもたらし、すべての存在を一つに統一していく実体的な力を持った究極の根源的な原理としても捉えられていくことになります。
そして、そういった意味では、
こうしたヘラクレイトスの哲学におけるロゴスとしての理性の存在は、
認識と存在の両方の面において最上位に位置する究極の原理として捉えられていると考えられることになるのです。
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次回記事:理性とは何か?③ソクラテスの問答法における演繹的推論として理性の位置づけと『クリトン』における両者の関わり
前回記事:理性とは何か?①ギリシア語とラテン語におけるロゴスとラティオの具体的な意味
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