理性とは何か?③ソクラテスの問答法における演繹的推論として理性の位置づけと『クリトン』における両者の関わり

前回の記事で書いたように、紀元前6世紀の古代ギリシアの哲学者であったヘラクレイトスの哲学思想においては、すでに、

世界の内に秩序をもたらしすべての存在を一つに統一していく根源的な究原理であると同時に、すべての人間に共通する普遍的な論理的思考の原理としても捉えられているロゴスとしての理性の存在のあり方が語られていると考えられることになるのですが、

こうしたロゴスや理性と呼ばれる人間の認識における知性的な心の働きあり方に対して、より明確な定義が与えられようになったのは、

古代ギリシア哲学を代表するアテナイの三人の哲学者であるソクラテスプラトンそしてアリストテレスにおける哲学思想の展開の中においてであったと考えられることになります。

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ソクラテスの問答法における演繹的推論として理性の位置づけ

こうしたアテナイの三人の哲学者のうちの最初の一人として位置づけられる紀元前5世紀の古代ギリシアの哲学者であるソクラテスは、

哲学史においては、人倫の哲学あるいは倫理学の祖としても位置づけられることになるのですが、

そうしたソクラテスの哲学思想においては、ロゴスとしての理性の存在のあり方は、人間の生き方における言葉や論理の働きのあり方として捉えられていくことになると考えられることになります。

以前の記事でも述べたように、

ソクラテスにおける哲学的探究は、主に、ソクラテスの問答法と呼ばれる人々との対話と議論の手法を通じて進められていくことになるのですが、

そうしたソクラテスにおける人々との問答を通じた知の探求のあり方は、エレンコスと呼ばれる論駁の議論の形式をとることによって進められていくことになります。

エレンコス(elenchosとは、古代ギリシア語において、反証や論駁のことを意味する言葉として定義されることになるのですが、

こうしたソクラテスの問答法に基づくエレンコスの議論においては、主に、

対話相手自身が主張する知のあり方の普遍的な定義のあり方について吟味と論駁が進められていったうえで、そうした普遍的な定義から導かれる個別的な事例における個々の判断についても論駁がなされていくという演繹的推論のあり方を通じて、

対話相手が主張する知のあり方についての吟味と論駁が進められていくことになります。

つまり、そういった意味では、

ソクラテスの哲学思想においては、人間の認識や判断における知性的な心の働きあり方としてのロゴスとしての理性の存在は、

人間同士の問答や論駁の議論における言葉や論理あるいは原則や法則といったものとして捉えられて上で、

そうしたロゴスとしての理性の働きのあり方は、一義的には、

演繹的推論として位置づけられる普遍的な定義から個別的な事例についての判断を導く論理的な思考の働きのあり方を意味する概念として捉えられていくことになると考えられることになるのです。

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『クリトン』における理性としてのロゴスについての言及とソクラテス自身との関係

哲学的な知の探求のあり方において人々との直接的な対話と議論を重んじていたソクラテスは、自分自身ではいかなる著作も残さなかったため、

その哲学思想については、ソクラテスの弟子にあたるプラトンなどが書き残した対話篇などの著作を通じて間接的な形で触れていくことしかできないのですが、

そうしたプラトンが書き残した数多くの対話篇のなかでも、アテナイの人々によって死刑判決を下されて自らが処刑される時を牢獄で静かに待つ中、友人であるクリトンに語ったとされるソクラテスの最後の言葉が比較的信憑性の高い形で伝えられていると考えられる『クリトン』と題される初期対話篇においては、

以下のような形で、人間の心のうちに存在する理性としてのロゴスの存在とソクラテス自身との関わりのあり方が語られていくことになります。

「僕は、いまだけではなく、いついかなる時においても自分がよく考えて最善だと判断したロゴス以外には自分がもつ他の何ものにも従わないことにしてきたのだ。だから、自分が前に主張したロゴスを、いま僕がこのような運命に陥ったからといって放棄することはできない。むしろ、それらは僕には今でもほとんど同じものに見える。ぼくはそれらのロゴスにこれまでと同じように畏敬と尊崇の念を抱き続けているのだ。」(プラトン『クリトン』第六節)

・・・

以上のように、

こうしたソクラテスの哲学思想においては、

人間の心における理性やロゴスと呼ばれる知性的な心の働きのあり方は、ギリシア語においてエレンコスと呼ばれるような問答法の議論において用いられている

普遍的な定義から個別的な事例についての判断を導き出す演繹的推論のことを意味する概念として捉え直されていくことになると考えられることになります。

そして、

上述した『クリトン』におけるソクラテスの言葉において示されているように、ソクラテスは、

理性としてのロゴスの存在、あるいは、そうした演繹的推論に基づく人間における普遍的な知のあり方を自らの命と引き換えにしてでも守るべき重要な原理として捉えたうえで、その存在に対して深い畏敬と尊崇の念を抱き続けていたと考えられることになるのです。

・・・

次回記事:理性とは何か?④プラトンの認識論における間接的認識と直知的認識の区別と人間の理性が向かう究極の探求対象としてのイデア

前回記事:理性とは何か?②ヘラクレイトスの哲学におけるロゴスとしての理性の存在の捉え方

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