理性とは何か?④プラトンの認識論における間接的認識と直知的認識の区別と人間の理性が向かう究極の探求対象としてのイデア
前回の記事で書いたように、ソクラテスの哲学思想においては、人間の心における理性やロゴスと呼ばれる知的な心の働きのあり方は、
ソクラテスの問答法の議論において用いられている普遍的な定義から個別的な事例についての判断を導き出す演繹的推論のことを意味する概念として捉えられていると考えられることになるのですが、
こうした演繹的推論に基づく論理的思考のあり方を中心とする人間の心における知的な思考の働きとしての理性の具体的な働きのあり方については、
ソクラテスの弟子であるプラトンの哲学思想のうちにおいて、さらに詳細な分析が進められていくことになります。
プラトンの認識論における間接的認識と直知的認識の区別
冒頭でも述べたように、
紀元前4世紀前半の古代ギリシアのアテナイの哲学者にしてソクラテスの弟子でもあるプラトンの哲学思想においては、
演繹的推論としての論理的な思考のあり方を含む人間の理性的な認識のあり方全般についてのさらなる哲学的探究が進められていくことになるのですが、
こうしたプラトンの哲学における認識の分類のあり方においては、
まず、人間における認識のあり方は、
現実の事物が存在する感性的世界(現象界)についての認識にとどまる感性的な認識のあり方と、
真なる実在であるイデアが存在する知性的世界(イデア界)へと到達することができる知性的な認識という二つの認識の区分へと大別されていくことになります。
そしてさらに、
こうした二つの認識区分のうちの後者にあたる知性的な認識あるいは理性的な認識のあり方は、
数学や自然学といった通常の学問における論理的推論に基づく認識のあり方のことを意味するディアノイア(間接的認識)と、
真の実在であるイデアそのものを直接把握する認識のあり方であるノエーシス(直知的認識)という二つの認識のあり方へと区分されていくことになるのですが、
つまり、そういった意味では、
こうしたプラトンの哲学における認識論の議論においては、
人間の心における知的な思考のあり方のことを意味する理性の働きの内には、
ソクラテスの段階においてすでに認められていた演繹的推論に基づく論理的な思考のあり方と一致すると考えられる論理的推論に基づく間接的認識のあり方のほかに、
対象そのものの本質を直観的に把握していくような直知的認識と呼ばれる新たな認識のあり方が存在するという新たな考え方が示されていると考えられることになるのです。
人間の理性に基づく哲学的探究が向かうべき究極の対象としてのイデア
以上のように、
こうしたプラトンの哲学思想においては、
理性と呼ばれる人間の心における知的な心の働きのあり方は、
ディアノイア(間接的認識)とノエーシス(直知的認識)と呼ばれる二つの認識のあり方に分けて捉えられていくことになり、
前者のディアノイア(間接的認識)は、通常の学問における論理的推論に基づく認識のあり方のことを意味するのに対して、
後者のノエーシス(直知的認識)は、哲学的探究において真なる実在としてのイデアそのものの存在を直観的に把握していく心の働きのあり方として位置づけられていくことになります。
そして、
こうしたプラトンの哲学において現実の世界の内に存在するあらゆる事物の背後に存在する真なる実在のことを意味するイデアと呼ばれる普遍的な観念の存在は、
こうした間接的認識と直知的認識の両者を含む心の働きのあり方として捉え直された人間の理性が向かうべき究極の探求の対象として位置づけられていくことになると考えられることになるのです。
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次回記事:理性とは何か?⑤アリストテレスの「論理学」における三段論法に代表される演繹的推論を中心とする論理的な思考のあり方としての理性の定義
前回記事:理性とは何か?③ソクラテスの問答法における演繹的推論として理性の位置づけと『クリトン』における両者の関わり
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