マラトンの戦いとマラソンとの関係とは?①ペルシア帝国によるオリエント統一とイオニアの反乱でのギリシア本土からの救援

現代のオリンピックにおける陸上競技正式種目としても位置づけられている42.195kmの距離を走っていく長距離走にあたるマラソン競技におけるマラソン(Marathonという言葉の由来は、

現在のギリシアの首都にあたるアテネの北東に位置していたマラトン(Marathonと呼ばれる古代ギリシアの地名に求められることになり、

かつて、この地で行われたアテネを中心とするギリシア軍ペルシア軍との戦いにあたるマラトンの戦いと、その戦いにおけるギリシア側の勝利を告げ知らせる使者の伝説的な力走大本の起源となることによって、現代におけるマラソン競技のあり方が形づくられていくことになっていったと考えられることになるのですが、

それでは、こうした古代ギリシアにおけるマラトンの戦いにおいては、具体的にどのような歴史的な経緯から戦いが行われることになっていったと考えられることになるのでしょうか?

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ペルシア帝国によるオリエント世界の統一とイオニア地方への進出

イオニアの反乱におけるギリシア本土からの援軍と周辺都市の位置関係

そうすると、まず、

マラトンの戦いと呼ばれる戦いは、紀元前490に、アテネの北東に位置するマラトンにおいて、ダレイオス1の命を受けてギリシア本土へと侵攻してきたアケメネス朝ペルシア軍と、その軍勢を迎え討つアテナイとプラタイアの連合軍との間で行われた戦いとして位置づけられることになるのですが、

こうしたマラトンの戦いが行われることになった紀元前5世紀ごろの時代は、古代の東方世界に君臨していた大国にあたるメディアリュディア新バビロニアエジプト四王国が、

新たに興隆したペルシア人の帝国であるアケメネス朝ペルシアによって次々に滅ぼされていき、ペルシア帝国によって、オリエント世界の統一が果たされたのちに、その触手が西方のギリシア世界へも伸びてきた時代にあたることになります。

そして、そうした世界情勢の最中、

アテネスパルタが位置するギリシア南部の半島にあたるアッティカ半島から見て、エーゲ海を挟んだ対岸に位置するギリシア人の植民都市数多く存在していたミレトスなどを中心とするイオニア地方も、

こうしたペルシア帝国からの強い圧力を受けることによって帝国の支配下へと徐々に組み込まれていってしまうことになっていったと考えられることになるのです。

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イオニアの反乱におけるギリシア本土からの援軍とダレイオス1世による反乱の鎮圧

そして、

こうした東方におけるペルシア帝国勢力の強大化に危機感を覚えたギリシアの諸都市は、互いに連携してペルシア帝国へと対抗する手段を探っていくことなり、

紀元前499に起きたイオニアの反乱においては、ペルシア帝国の支配下にあったイオニア地方のギリシア諸都市の救援のために、アテネエレトリアといった都市国家が数十隻の軍艦援軍として差し向けていくことになります。

そして、その後、

こうしたアテネエレトリアといったギリシア本国諸都市からの加勢を受けたイオニアの反乱軍は、

一時は、ペルシア帝国西方の都にあたる、かつてのリュディア王国の首都であったサルディスにまで迫っていくことになります。

しかし、

そうしたイオニア地方ギリシア諸都市最後の抵抗もむなしく、

紀元前493、ついに、ペルシアの大軍によって包囲攻撃を受けるなか、イオニア地方の中心都市であったミレトスが陥落することによって、

最終的には、こうしたイオニアの反乱は、当時のアケメネス朝ペルシアの王であったダレイオス1によって鎮圧されてしまうことになり、

ダレイオス1世は、イオニアのギリシア人たちが再び自らの帝国の支配に逆らうことができないようにするために、

イオニア地方ギリシア諸都市にあった神殿や聖域すべて焼き払って破壊し尽くしてしまい、反乱の中心都市であったミレトスの人々に対しては、

見せしめとして、生き残っていたギリシア人の男たちはすべて殺し女性と子供すべて奴隷として現在のイランの位置する帝国の首都であったスーサへと強制連行してしまうことによって、この地に生きてきたギリシア人たちを、すべて根絶やしにしてしまうことになります。

そして、

こうしてイオニア地方の諸都市を完全に帝国の支配下へと組み入れることに成功したダレイオス1は、次に、その目をイオニアの反乱へと加担したアテネエレトリアといったギリシア本国都市国家へと向けていくことになるのですが、

詳しくは、また次回の記事で改めて書いていくように、

このようにしてペルシア帝国の版図西方のギリシア世界へと向けて大きく広げられていくなかで、

ついに、ギリシア本土にまで遠征していくことになったペルシア軍と、それを迎え討つアテネを中心とするギリシア軍との間で、冒頭で述べたマラトンの戦いと呼ばれる戦闘が行われていくことになるのです。

・・・

次回記事:マラトンの戦いとマラソンとの関係とは?②アテネとプラタイアの重装歩兵とペルシアの大軍との戦いと勝利を告げる使者の声

前回記事:十種競技(デカスロン)の語源とは?古代ギリシア語の言葉の由来と陸上競技における全部で八種類の混成競技の名称の由来

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