自虐とマゾヒズムの違いとは?心理学における自我の防衛機制の働きに基づく感情の方向性の転換と欲望の質的な変化
以前に心理学における「反動形成」と「逆転」の違いの記事でも触れたように、
フロイトの精神分析学などの深層心理学の分野においては、現実の社会生活において生じる様々な心理的ストレスから自分自身の心を守る自我の防衛機制の働きのなかで、
他者に対して向けられた憎しみの感情や攻撃衝動が、自分自身に対して与えられる身体的・精神的苦痛に対して快感を覚えるマゾヒズムのような倒錯した欲求へと変換されていく原理なども説明されていくことになると考えられることになります。
そして、
一般的に、こうしたマゾヒズム(masochism)という言葉の形容詞形にあたるマゾヒスティック(masochistic)と呼ばれる概念は、
日本語においては、被虐的、あるいは、自虐的といった言葉として訳されることが多いと考えられることになるのですが、
その一方で、
フロイトの精神分析学などの深層心理学の分野においては、心理学上の概念としての「自虐」と呼ばれる自我の防衛機制のあり方は、
上述したような一般的な意味におけるマゾヒズムとは少し異なった特徴を持つ概念として捉えられることになると考えられることになります。
心理学上の概念としての「自虐」の定義と、虐待を受けている子供が両親ではなく自分自身のことを責める態度を示すようになる心理の説明
まず、
フロイトの精神分析学において登場する自我の防衛機制の種類の分類のなかでは、自分で自分のことを精神的あるいは肉体的に攻撃したり、自分自身のことを必要以上に責めるような態度や行動を示す「自虐」と呼ばれる心の働きのあり方は、
より厳密な意味においては、「自己自身への向け換え」(Turning against one’s own person)と呼ばれる自我の防衛機制の働きとして説明されていくことになります。
そして、
こうした「自己自身への向け換え」と呼ばれる心の働きのあり方は、一言でいうと、
人が自分が相手に対して抱いている感情や衝動を直接的には受け入れられない時に、そうした受け入れがたい感情や衝動を反転させて自分自身の側にぶつけることによって、自分自身の心のバランスを保とうとする心の働きのあり方として定義することができると考えられ、
具体的には、例えば、
両親などから理不尽な形での責を受けたり、虐待を受けたりしている子供は、そうした子供自身の心の無意識のレベルにおいては深い憎しみと怒りの感情を抱くことになりますが、
幼い子どもにとって、自分の両親に対してそうした憎しみや怒りの感情を直接向けることは、それ自体が自分自身にとっても強い苦痛を伴う受け入れがたい感情や衝動にあたることになるので、
そうした子供は、本来は虐待を行っている両親に対して向けられるべき憎しみや怒りの感情を反転させて自分自身の方へと向け換えることによって、むしろ、そうした虐待を行っている両親をかばって自分自身のことを責めるような過度な反省の態度を示したり、時には、自分で自分自身のことを罰する自傷行為のような行動へと及んだりすることになるといった例が、
こうした「自己自身への向け換え」あるいは「自虐」と呼ばれる自我の防衛機制の働きの具体例として挙げることができると考えられることになります。
自虐とマゾヒズムにおける感情の方向性の転換と欲望の質的な変化の違い
そして、このように、
こうした心理学上の概念としての「自虐」と呼ばれる自我の防衛機制の働きにおいては、確かに、自分自身のことを精神的にも肉体的にも過度に罰しようとすることによって、
表面上の行為としては、マゾヒズムににおいて見られるようなものと同様の自傷行為のような行動が示されるケースもあると考えられることになるのですが、
その一方で、
こうした心理学上の概念としての「自虐」においては、憎しみや怒りといった強い負の感情を本来の対象である相手の方へと向けることが自分自身の心にとって耐えられない心の動きであるがゆえに、
むしろ、そうした憎しみや怒りの感情をUターンさせて自分自身の心身で受け止めることを選び取ることになるという感情や衝動における方向性の転換が行われているだけであって、
そこでは、心理学的には逆転(Inversion)と呼ばれる自我の防衛機制の働きによってもたらされることになるマゾヒズムにおいて見られるような、
そうした自分自身の心身を傷つける行為が、苦痛から快感へと反転していくような倒錯した欲望の充足へとつながるような変化が生じることは基本的にはないと考えられることになります。
つまり、
こうした心理学における自我の防衛機制のあり方の種類のうちの一つとして分類される「自虐」と呼ばれる心の働きにおいては、
必ずしも「マゾヒズム」といった倒錯した欲求のあり方などにおいて見られるような苦痛が快楽へ、そして、憎しみが愛へと変換されていくような欲望や感情の質的な変化が生じていくわけではないという点に、
両者の概念を区別する明確な意味の違いがあると考えられることになるのです。
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次回記事:心理学における「打ち消し」や「取り消し」の定義と罪悪感や超自我の働きとの関係性、防衛機制とは何か?⑨
前回記事:「同一視」の過程において他者への愛情が憎しみへと反転していく原理と二重の心理的過程において進行していく自我の防衛機制のあり方、防衛機制とは何か?⑧
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