伝説上の青き衣の人を超える存在へと至るナウシカの姿、「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」の本当の意味③
前々回と前回の記事で書いたように、漫画版の『風の谷のナウシカ』においては、青き衣の人の姿は、
マニ族の僧正が語る人々を青き清浄の地へと導く救済者としての姿と、腐海の森と共に生きる森の人が語る人々を正しき道へと導くが決して救いはしない影を帯びた先導者としての姿という二つの側面から描き出されていくことになります。
そして、
こうした漫画版の『風の谷のナウシカ』の終盤の場面においては、以前に「腐海の森が生まれた本当の理由とは?」の記事で詳しく考察したように、
旧世界の人類たちの手によって創り上げられた腐海の森と現在の世界の真実の姿がすべて解き明かされていくことになるのですが、
それと同時に、こうした物語の終盤の場面においては、青き衣の人となったナウシカが果たすべき役割と、こうした青き衣の人という言葉が指し示す本当の意味が解き明かされていくことになると考えられることになります。
旧世界の人類の影との対決場面における青き衣の人となったナウシカの姿
漫画版の『風の谷のナウシカ』の最終盤の場面においては、
腐海の森と現在の世界の仕組みの真実の姿をすべて解き明かしたナウシカは、その後、墓所と呼ばれている土鬼帝国の聖都シュワの最深部の施設において、
現在の人類を犠牲にしたうえで築き上げられる新世界の再生計画を創り上げた張本人である旧世界の人類の影たちと対決することになります。
そして、
そうしたナウシカと現在の世界の創造主である旧世界の人類の影たちとの対決場面においては、両者の間で以下のような問答が繰り広げられていくことになります。
・・・
影「人類はわたしなしには亡びる。お前達はその朝をこえることはできない。」
ナウシカ「それはこの星がきめること……。」
影「虚無だ!!それは虚無だ!!」
ナウシカ「王蟲のいたわりと友愛は虚無の深淵から生まれた。」
影「お前は危険な闇だ。生命は光だ!!」
ナウシカ「ちがう。いのちは闇の中でまたたく光だ!!」
ナウシカ「すべては闇から生まれ闇に帰る。お前達も闇に帰るが良い!!」
(『風の谷のナウシカ』第七巻、201~202ページ。)
・・・
つまり、
こうしたナウシカと旧世界の人類の影たちとの問答の場面においては、
青き衣の人として人々を導く役割を担うことになったナウシカに対して、現在の世界の創造主である影は、
自分たちが創り上げた永遠の計画に従って、現在の人類たちを騙して偽りの希望を信じさせ、現在の人類の屍の上に築き上げられことになる青き清浄の地の建設と、そこに住むことになるより優れた新人類の再生の計画に加担するよう強く迫っていくことになるのですが、
ナウシカは、彼らが「生命の光」として指し示すそうした永遠の計画こそが、人々を欺き、その命から自由を奪う偽りの光であり、
「いのちは闇の中でまたたく光」であると語ることによって、こうした影たちが語る誘惑の言葉を力強くはねつけ、自らが歩むべき新たな道を自分自身の手で選択していくことを決断するに至ることになるのです。
伝説における青き衣の人を超える存在へと至るナウシカの姿
そして、
こうしたナウシカと墓所を守る旧世界の人類の影たちとの対決の場面では、その後、ナウシカは、彼女のことを「希望の敵」「闇の子」と罵る影たちの制止を振り切り、
自分に付き従ってきた巨神兵の力を使うことによって墓所を破壊し、現在の人類をこうした旧世界の人類の影たちによって定められた運命と呪縛から解き放つことになるのですが、
その後、
物語のエンディングの場面においては、ナウシカのことを幼い時から見守ってきた城じいのミトたちとの対話の中で、以下のような形で、再び青き衣についての言及がなされる場面が出てくることになります。
・・・
ナウシカ「ミト、よかった……。」
城じいのミト「ハハハ、死にぞこないましたな。しかし、姫さまほどでないが、わしもまだらの青き衣になりました※。」
(『風の谷のナウシカ』第七巻、222ページ。)
※ちなみに、ここでミトが言っている「まだらの青き衣」とは、ナウシカと巨神兵の手によって破壊された墓所の青い血を浴びたことで、王蟲の青い血を浴びて青き衣となったナウシカの服と同じように、ミトの服もその一部が青い色に染まったことを指して、こうした表現が用いられている。
・・・
そして、
こうした漫画版の『風の谷のナウシカ』の物語は、以下のようなナウシカの言葉によって締めくくられる形で、ついに終わりを迎えることになります。
・・・
「さあ、みんな。出発しましょうどんなに苦しくとも。」
「生きねば…………。」
(『風の谷のナウシカ』第七巻、223ページ。)
・・・
つまり、こうした物語の終幕の場面においては、
たとえ、その道の行く着く先が、約束された安住の地へと至るような安穏とした幸福へとは決してつながることのない絶望と紙一重の茨の道であったとしても、
闇の中で輝く生命の光を常に信じ続け、慈愛と希望の光によって人々の心を満たすことでその心を救済し、
そうすることによって、ただ、人類が歩むべき正しい道を指し示すというだけではなく、自分自身がそうした苦難に満ちた生命の道を人々と共に歩んで生きていくという
伝説における青き衣の人を超えるような存在へと変貌を遂げていくことになったナウシカの姿が描かれているとも解釈することができると考えられることになるのです。
・・・
次回記事:偽りの光を亡ぼす闇の子としてのナウシカの姿と「闇の中でまたたく光」としてのナウシカが語る生命のあり方
前回記事:森の人が語る人々を導くが救いはしない青き衣の人の姿、「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」の本当の意味②
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