論理的推論の四つの分類とは?帰納と演繹と類推と仮説形成における具体的な推論のあり方の違い
個々の学問における専門的な議論から、日常生活における一般的な議論にまで広く用いられている論理的推論のあり方は、大きく分けると、
帰納(induction、インダクション)と演繹(deduction、ディダクション)、そして、類推(analogy、アナロジー)と仮説形成(abduction、アブダクション)
という全部で四つの種類に分類することができると考えられることになります。
こうした人間の思考において用いられている四つの論理的推論のあり方には、具体的にどのような意味の違いがあり、
それぞれの推論においては具体的にどのような形で論理展開が進められていくと考えられることになるのでしょうか?
論理的推論の四つの分類と帰納・演繹・類推・仮説形成の意味の違い
詳しくは、「演繹法と帰納法の具体的な違い」の記事で書いたように、
まず、演繹と帰納という二つの推論の形式においては、
演繹においては、前提となる一般的な理論や普遍的な概念からの必然的な論理展開によって、個別的な概念や具体的な事実を導き出す推論が進められていくのに対して、
帰納においては、実験や観察によって得られた実証的事実や経験的事実の集積に基づいて、個別的な事例や具体的な事実の方から一般的な理論や普遍的な法則を見つけ出そうとする推論が進められていくことになります。
それに対して、「仮説形成と帰納的推論の違い」の記事で書いたように、
次の仮説形成と呼ばれる推論の働きにおいては、
帰納的推論の場合と同様に、実証的事実や経験的事実の集積に基づいて推論が進められていくものの、
仮説形成においては、実証的事実や経験的事実を成り立たせている原因や仮定へとさかのぼっていく形で推論が進められていくことによって、そうした事実を合理的に説明するための仮定となる理論が導き出されるという点に、帰納的推論との推論の方向性の違いが見いだされることになります。
そして、最後に、詳しくは、「哲学や論理学における類推の意味」の記事で考察したように、
類推と呼ばれる推論の働きにおいては、個々の概念同士の間で成立する類似性に基づいて、具体的なイメージを伴った推論がより自由な形で展開されると考えられることになります。
それでは、
こうした帰納・演繹・類推・仮説形成と呼ばれる四つの論理的推論においては、それぞれ具体的にどのような形で論理展開が進められていくと考えられることになるのでしょうか?
帰納・演繹・類推・仮説形成における具体的な推論の展開
例えば、「太陽が東から昇り西へと沈む」という現象が、帰納・演繹・類推・仮説形成という上記の四つの論理的推論においてどのように説明されることになるのか?という議論について考えてみるとするならば、それは以下のようになります。
まず、実験や観察によって得られた実際に太陽が東から昇って西へと沈んでいくという経験やデータに基づいて、
そうした経験的事実や実証的事実の集積から直接的に「太陽は常に東から昇り西へと沈む」という普遍的な結論を導き出そうとするならば、
それは、個別的な事例や具体的な事実の側から一般的な理論や普遍的な法則を見つけ出す帰納的推論に基づく議論であると考えられることになります。
それに対して、
そうした実証的事実や経験的事実の集積から、東から昇り西へと沈むという太陽の運行が観測される原因や理由へと考察が進み、
こうした太陽の運行を合理的に説明するための天動説や地動説といった前提となる仮説理論を導き出すことができるとするならば、
それは、実証的事実や経験的事実に基づいて、そうした事実を合理的に説明するための仮定となる理論を導き出す仮説形成という推論にあたると考えられることになります。
そして、例えば、
子供が目の前でくるくると回って遊んでいる際に、本当は自分の身体のほうが回転しているだけなのに、回っている当人の側からは、世界の方がぐるぐると回っているように見えることから、
それと同様に、太陽と地球の関係においても、自分たちがいる地球の方が太陽の周りを回っていることことによって、地球の側からは、太陽の方が地球の周りをまわっているように見えるといった考え方が連想されることがあるように、
地動説といった仮説理論が形成されていく際に必要となる新しい理論のもととなる着想自体は、
こうした類推や連想と呼ばれる推論の働きによってもたらされることになると考えられることになります。
そして、最後に、
こうした類推によって得られた新しい着想と、その着想に基づく仮説形成によって、地動説といった新しい理論が完成されることになると、
今度は、こうした地動説といった普遍的な理論に基づいて、その理論からの必然的な論理展開による演繹的推論によって、
改めて「太陽が東から昇り西へと沈む」という現象が、より必然性の高められた論理的推論によって論証されることなると考えられることになるのです。
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以上のように、
帰納(インダクション)と演繹(ディダクション)、類推(アナロジー)と仮説形成(アブダクション)とは、一言でいうと、
演繹が一般的な理論や普遍的な概念からの必然的な論理展開によって、個別的な概念や具体的な事実を導き出す必然的な推論であるのに対して、
帰納は、個別的な事例や具体的な事実の集積から直接的に一般的な理論や普遍的な法則を見つけ出そうとする確実性の度合いの低い蓋然的な推論であり、
仮説形成では、実証的事実や経験的事実の集積に基づいて、そうした事実を合理的に説明するための仮定となる理論が導き出され、
類推においては、個々の概念同士の間で成立する類似性に基づいて、具体的なイメージを伴った推論がより自由な形で展開されるという点に、
上記の四つの論理的推論における推論のあり方の具体的な違いがあると考えられることなります。
そして、
こうした帰納と演繹、類推と仮説形成という四つの論理的推論のそれぞれの長所が生かされていく形で、互いに適切な形で組み合わされていくことによって、
学問における理論体系や、日常生活における一般的な議論において、より説得力のある必然性の高い理論や主張が形成されていくことになると考えられることになるのです。
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初回記事:帰納(インダクション)と演繹(ディダクション)の語源とは?ラテン語における帰納と演繹の具体的な意味と由来
前回記事:哲学や論理学における類推(アナロジー)の意味とは?あらゆる概念の種類の区分を越えて働く最も自由な論理的推論としての類推
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