仮説形成(アブダクション)と帰納的推論(インダクション)の違いとは?経験的事実の背後にある仮定への遡及としての仮説形成
前回書いたように、仮説形成(アブダクション)とは、一言でいうと、
結論となる実証的事実の方からスタートして、その事実を合理的に説明するための仮定となる理論を導き出すという推論のあり方を意味する概念であり、
それは、演繹的推論(ディダクション)とは逆向きの方向へと働く推論であると捉えることができると考えられることになります。
しかし、
演繹的推論と対をなす概念というと、一般的には、仮説形成(アブダクション)よりも、帰納的推論(インダクション)と呼ばれる推論のあり方が挙げられると考えられることになりますが、
こうした仮説形成(アブダクション)と帰納的推論(インダクション)と呼ばれる二つの推論のあり方には具体的にどのような意味の違いと関係性があると考えられることになるのでしょうか?
帰納的推論と仮説形成における推論のあり方の具体的な違いとは?
まず、帰納的推論(インダクション)と仮説形成(アブダクション)における推論のあり方の具体的な違いとしては、
帰納的推論においては、個別的な事例や実証的事実を例として挙げることによって、そこから普遍的な結論を導き出す推論がなされることになるのに対して、
仮説形成においては、帰納的推論の場合と同じように個別的な事例や実証的事実に基づいたうえで、そこから事実を合理的に説明するための普遍的な仮定を導き出す推論がなされるということが挙げられることになります。
例えば、前回取り上げた天文学における天動説と地動説という理論と、「太陽が東から昇って西へ沈む」といった経験的事実との関係を例として考えてみるとするならば、
まず、この場合における帰納的推論とは、
「今日も太陽は東から昇って西へと沈んでいく。昨日も、おとといも、一カ月前も、一年前も同じようにそうであった。私がこの世に生まれてからずっと太陽は何万回も東から昇っては西へと沈み続けてきたのだ。」
といった経験的事実の集積から直接的に、
「ゆえに、太陽は常に変わらず東から昇って西へと沈み続けるのだろう」と結論づけるような推論のあり方であると考えられることになります。
つまり、そういう意味では、帰納的推論(インダクション)においては、
個別的な事例や経験的事実の集積から直接的に、一般的な理論や普遍的な法則を見つけ出すという点にその推論のあり方の特徴があると考えられることになるのです。
経験的事実の背後にある仮定への遡及としての仮説形成
それに対して、仮説形成(アブダクション)の場合には、上記の帰納的推論における場合と同様に「太陽が東から昇って西へ沈む」という同じ経験的事実からスタートしながら、
そこから直接的に「太陽は常に変わらず東から昇って西へと沈み続ける」といった普遍的な法則を導き出すのではなく、
まずは、そうした経験的事実を成り立たせている原因についての考察がなされたうえで、
最終的に、天動説や地動説といった「太陽が東から昇って西へ沈む」という観測的事実を合理的に説明するための仮説理論を導き出すという推論が進められていくことになります。
つまり、そういう意味では、仮説形成(アブダクション)においては、
経験的事実の背後にある原因、さらには、そうした事実を成立させるための条件や仮定へとさかのぼっていく形で推論が進められていくという点にその推論のあり方の特徴があると考えられることになるのです。
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以上のように、
帰納的推論(インダクション)と仮説形成(アブダクション)における推論のあり方の具体的な違いとしては、
帰納的推論においては、個別的な事例や経験的事実の集積から直接的に一般的な理論や普遍的な法則が導き出されるのに対して、
仮説形成においては、経験的事実や実証的事実の集積から、そうした事実を成り立たせている原因へと遡及していく形で推論が進められ、事実を合理的に説明するための仮定となる理論が導き出されるということが挙げられるとと考えられることになります。
つまり、一言でいうと、
帰納的推論では、経験的事実の集積が、同時に普遍的な理論の形成へとつながっているのに対して、
仮説形成では、そうした経験的事実を成り立たせている原因や仮定へとさかのぼっていく形で推論が進められていくという点に、
両者の推論のあり方の具体的な違いがあると考えられることになるのです。
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次回記事:帰納的推論と演繹的推論における推論の確実性の度合いの違い、帰納的推論が常に蓋然的な認識にとどまり続ける理由とは?
前回記事:仮説形成(アブダクション)の具体的な意味と演繹的推論(ディダクション)との推論の方向性の違いとは?
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