プラトンの「線分の比喩」における四つの認識の比例関係の図解、直接的認識と間接的認識の間の三重の比例関係、認識論③
前回書いたように、プラトンの『国家』第六巻で語られる「線分の比喩」においては、
人間の認識のあり方には、エイカシア(映像知覚)とピスティス(知覚的確信)、そしてディアノイア(間接的認識)とノエーシス(直知的認識)という全部で四段階の認識の階層があることが説明されます。
そして、エイカシア(映像知覚)とピスティス(知覚的確信)が現実の事物が存在する感性的世界(現象界)のみを対象とする認識であるのに対して、
ディアノイア(間接的認識)とノエーシス(直知的認識)は現実の世界の背後にある真なる実在であるイデアが存在する知性的世界(イデア界)を対象とする認識であるとされることになるのですが、
「線分の比喩」の議論では、こうした四つの認識のあり方は、数学的な比例関係において捉えられることができると説明されることになります。
そこで今回は、そうしたプラトンの「線分の比喩」において語られている四つの認識の比例関係を図解していくことを通じて、こうした議論について詳しく考えていきたいと思います。
プラトンの「線分の比喩」における四つの認識の比例関係
プラトンの『国家』第六巻で語られる「線分の比喩」の議論においては、まず、
下記の図で示すように、一本の直線が例えばa1、a2、b1、b2と呼びうるような四つの線分へと分割されたうえで、
前述した人間における四つの認識のあり方のそれぞれについて、
線分a1はエイカシア(映像知覚)に、線分a2はピスティス(知覚的確信)に、線分b1はディアノイア(間接的認識)に、線分b2はノエーシス(直知的認識)に対応しているとされることになります。
そして、認識の対象の区分については、
エイカシア(映像知覚)とピスティス(知覚的確信)の共通の認識の対象である感性的世界(現象界)は、両者の線分である線分a1と線分a2を足し合わせた(a1+a2)=Aという線分に対応するとされ、
ディアノイア(間接的認識)とノエーシス(直知的認識)の共通の認識の対象である知性的世界(イデア界)は、両者の線分である線分b1と線分b2を足し合わせた(b1+b2)=Bという線分に対応するとされることになります。
そして、こうした四つの線分とそれに対応する四つの認識の間には、
下図で示すようなa1:a2=b1:b2=A:Bという比例関係が成立していると説明されることになるのです。
直接的認識と間接的認識の間の三重の比例関係
こうした「線分の比喩」における各認識同士の比例関係は、より具体的にはどのようなことを意味しているのかというと、
まず、
a1であるエイカシア(映像知覚)が水面や壁に映った映像を見るだけの間接的な知覚であるのに対して、a2であるピスティス(知覚的確信)は事物を直接的に知覚する認識のあり方であるというように、
両者の間には、現実の事物に対する間接的認識と直接的認識という対応関係があると考えられることになりますが、
それに対して、
b1であるディアノイア(間接的認識)と、b2であるノエーシス(直知的認識)との間にも、イデアに対する間接的認識と直接的認識というa1とa2との間にみられたのと同様の対応関係があると考えられることになります。
つまり、
現実の事物に対する直接的認識であるピスティス(知覚的確信)に対応する間接的認識がエイカシア(映像知覚)であるのに対して、
イデアに対する直接的認識であるノエーシス(直知的認識)に対応する間接的認識がディアノイア(間接的認識)であるという意味において、
両者の認識の対応関係の間には、a1:a2=b1:b2という比例関係が成立すると考えられることになるのです。
また、それと同様に、
認識の対象の区分におけるAである感性的世界(現象界)とBである知性的世界(イデア界)の間にも、
真なる実在であるイデアが直接存在する知性的世界(イデア界)に対応して、それを原型とする副次的で間接的な世界である感性的世界(現象界)が形づくられるという対応関係が存在することになるので、
上記のa1:a2=b1:b2という比例関係に、さらに、A:Bの対応関係も加えたa1:a2とb1:b2そしてA:Bの三者において、
a1:a2=b1:b2=A:Bという関係が、直接的認識と間接的認識の間をめぐる三重の比例関係として成立していると考えられることになるのです。
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以上のように、
プラトンの『国家』第六巻で語られる「線分の比喩」の議論においては、
エイカシア(映像知覚)、ピスティス(知覚的確信)、ディアノイア(間接的認識)、ノエーシス(直知的認識)という四つの認識のあり方と、
前者の二つの認識の対象である感覚的世界(現象界)と、後者の二つの認識の対象である知性的世界(イデア界)という二つの認識対象の区分の間において、
上記の図で示したようなa1:a2=b1:b2=A:Bという比例関係が成立しているとされることになります。
そして、こうした四つの認識の間の比例関係は、直接的認識と間接的認識の間をめぐる三重の比例関係として成立していると考えられることになるのですが、
上記の図におけるそれぞれの認識に対応した線分の長さを見れば分かる通り、
線分の長さが長くなるほど、それに比例して、認識の直接性の度合いが増していくことになり、
最も長い線分に対応するノエーシス(直知的認識)こそが、最も直接的で明晰度が高い知的認識のあり方を示しているということになります。
つまり、プラトンの「線分の比喩」においては、
a1:a2=b1:b2=A:Bという線分の比例関係に対応する形で、エイカシア(映像知覚)からノエーシス(直知的認識)へと段階的に認識のレベルが上昇していくことになり、
四つの認識のあり方を示すそれぞれの線分の長さが長くなっていくのにしたがって、人間の認識は永遠なる存在であるイデアの認識へと近づいていくことになると考えられることになるのです。
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次回記事:プラトンの「洞窟の比喩」における洞窟の囚人たちと壁面に映る影絵の世界、プラトン『国家』における認識論④
前回記事:プラトンの『国家』における四つの認識のあり方の分類、ノエーシスとディアノイアとピスティスとエイカシアの区分と認識論②
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