人を殺してはならない論理的な理由とは?①二つの直観的前提に基づく証明
「人を殺してはならない」という道徳命題を論理的に証明する方法としては、いくつかのパターンがあると考えられることになりますが、
その中でも、最もシンプルな証明方法の一つとしては、自己の生命の肯定と他者との平等性という二つの直観的前提からスタートして、そこから「人を殺してはならない」という道徳命題を導出する方法が考えられることになります。
こうした「人を殺してはならない」といった根本的な道徳法則についての論理的証明の可能性については、以前にも、同様のシリーズで考察しましたが、
今回からの数回のシリーズでは、以前に取り上げた論拠に加えて、他のパターンの論証のあり方についても提示していくために、
その初回である今回は、まず、以前にも取り上げた生命の肯定と平等性という二つの直観的前提から「人を殺してはならない」という道徳命題を導く議論を、改めて、
よりシンプルな形でまとめ直しておきたいと思います。
直観的前提のみから「人を殺してはならない」という命題を導く意味
直観という言葉が持つ具体的な意味については、詳しくは「直観と直感の違いとは?」の記事で考察しましたが、
それは一言でいうと、論証を必要とせずに意識の内に自然に現れている最も確かで自明な認識のあり方を意味することになります。
そして、
そうした証明を必要とせずに真とされる認識である直観的前提のみからスタートして、そこから「人を殺してはならない」という命題を導出することができれば、
それによって、「人を殺してはならない」という道徳命題が必然的に正しい命題であるということが論証されると考えられるのですが、
それでは、具体的にはどのような直観的前提に基づくことによって「人を殺してはならない」という道徳命題の論証がなされると考えられることになるのでしょうか?
自己の生命の肯定と他者との平等性という二つの直観的前提による証明
冒頭で挙げた二つの直観的前提のうちのはじめの一つである自己の生命の肯定については、
例えば、人間は、たとえ赤ん坊であっても、生まれ出た瞬間から産声を上げて肺の中に空気を取り入れ、本能的に自ら生きようとするように、
人間の生命には、自らの生命を維持しようとする意志が生まれながらに備わっていると考えられることになります。
そして、そういう意味において、
人間の心の内には、無意識のうちに自らの生命を維持しようとし続け、自己の生命を肯定するという意志が存在することが直観的前提として認められると考えられることになるのです。
また、もう一つの直観的前提として挙げた自己と他者の平等性の認識についても、
例えば、赤ん坊がお腹が空くと本能的に鳴き声をあげて自分を保護してくれる相手を求め、原始的な形であっても他者とのコミュニケーションを求め始めるように、
人間は生まれながらにして、他者との関係性の内に生きている存在であると考えられることになります。
そして、そうした他者との人間的な関係においては、
そもそも他者も自分と同じような心や意識を持った自分と同様の存在であるという認識がなければ、コミュニケーション自体が成立しないと考えられるので、
人間が他者との何らかの関係を持ちながら生きる存在である限り、そうした他者も自分と同じような意識や心をもった自分と同様の存在であることを互いに認め合うという意味での自己と他者の関係における最低限の平等性の認識は、人間の意識における直観的前提の一つとして認めることができると考えられることになるのです。
そして、
こうした自己の生命の肯定と他者との平等性という二つの直観的前提に基づくと、
自己の生命を肯定する限りにおいて、自分と同様の意識や心を持った存在である他者の生命についても、その命は自分の命と同様に肯定され守られるべきであるという結論が必然的に導かれることになるので、
以上のような議論によって、自己の生命の肯定と他者との平等性という二つの直観的前提から「人を殺してはならない」という道徳命題の証明がなされうると考えられることになるのです。
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以上のように、
人を殺してはならない論理的な理由を示すための第一の論証パターンとしては、
自己の生命の肯定と他者との平等性という人間の心の内にあると考えられる直観的な認識のあり方を取り上げ、
そうした二つの直観的前提に基づいて、自己の生命が肯定され守られるべきであるのと同様に他者の生命も肯定され守られるべきであるという結論を導くという論理の道筋が考えられることになります。
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そして、
こうした「人を殺してはならない」という道徳命題を証明する論証のパターンとしては、今回取り上げた自己の生命の肯定と他者との平等性という二つの直観的前提に基づく論証パターンの他に、
秩序の維持と功利主義に基づく説明や、感覚と共感性に基づく証明といった様々な論証パターンが存在すると考えられることになるのです。
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次回記事:人を殺してはならない論理的な理由とは?②社会秩序の維持と功利主義に基づく証明
関連記事:なぜ人を殺してはいけないのか?という問いへの論理的解答①生命の肯定と自己と他者の平等性という二つの前提に基づく論理的証明
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