針供養はいつ頃から何のためにおこなわれるようになったの?

針供養は、節分の日の豆まきほどではありませんが、2月におこなわれる日本の伝統的な風習のひとつですね。

針供養って、いつ頃から、何のためにおこなわれるようになった行事なんでしょうか?

今回は、針供養について、調べてみました。

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針供養ってどんな行事なの?

針供養とは、日ごろ、主に女性が使っている針を供養する行事です。

この日は、針仕事を休んで、
折れたり、曲がってしまったり、錆びたりして、使えなくなった縫い針を、

豆腐蒟蒻(こんにゃく)のように柔らかいものに刺したり
神社お寺に持ち寄ったりして、供養する日です。

針を刺した豆腐や蒟蒻は、土に埋めたり、川や海に流して供養した地域もあるようですが、

現代では、それは危ないので、やはり、近くの神社かお寺に納めるのが一番いい供養の仕方でしょう。

針供養はいつ頃から何のためにおこなわれるようになったの?

起源は、中国の古い慣わしが日本に伝わった、とも言われますが、定かではありません。

清和天皇(在位858年~876年)によって、針供養の堂が法輪寺に建立された、とされているので、
平安時代の前期には、針供養の風習があったことは確かでしょう。

女性のための行事として、日本全国に広まったのは、江戸時代中期以降のことだそうです。

女性たちが針供養をして、日常生活に欠かせない針に感謝するとともに、
針仕事の上達と安全を祈ったんですね。

針供養は何月何日におこなわれるの?

針供養は、毎年、2月8日におこなわれます。
しかし、関西地方九州地方では12月8日におこなわれるところもあります。

関東地方や東北地方の一部では両方という地域もあるようですが、ほとんどはどちらか一方の日におこなわれます。

それは、次のような理由からです。

かつて、12月8日と2月8日は事八日(ことようか)とよばれていました。
一方を「事始め」、他方を「事納め」とよびます。

「事」を、年間の「祭り事」あるいは「農作業」と解釈した場合は、2月が事始めで12月が事納めとなります。

関東の一部では「事」を「新年の祝い事」と解釈し、12月が事始めで2月が事納めとしているところがあります。

いずれにせよ、この両日はつつしみをもって過ごす日とされ、針仕事を休んで針の供養をするようになったということです。

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針供養をおこなっているのはどこなの?

現代では、家庭で針仕事をすることが少なくなり、針供養という行事もあまり見られなくなりました。

しかし、和裁や洋裁を教える学校や、服飾に関わる企業などでは、現在でも針供養をおこなっています。

また、針供養をおこなっている寺社としては、以下のところが有名です。
(いずれも針供養は2月8日におこなわれています)

●浅草寺[せんそうじ](東京都台東区)

●荏柄天神社[えがらてんじんじゃ](神奈川県鎌倉市)

●法輪寺[ほうりんじ](京都府京都市西京区)

●護王神社[ごおうじんじゃ](京都府京都市上京区)

●大阪天満宮[おおさかてんまんぐう](大阪府大阪市北区)

●護國山太平寺[ごこくざんたいへいじ](大阪市天王寺区)

●淡嶋神社[あわしまじんじゃ](和歌山県和歌山市)

●警固神社[けごじんじゃ](福岡県福岡市)

まとめ

針供養は、折れたり曲がったりした縫い針を、豆腐や蒟蒻に刺したり、神社やお寺に持ち寄ったりして、供養する日です。

針供養の風習は、平安時代の前期にはすでにあり、江戸時代中期以降に日本全国に広まって、女性たちが針仕事の上達と安全を祈るようになりました。

針供養は、毎年、2月8日、関西地方や九州地方では12月8日におこなわれます。
12月8日と2月8日は事八日(ことようか)とよばれていて、この日は針仕事を休んで針の供養をするようになました。

現代では、家庭で針仕事をすることが少なくなりましたが、和裁や洋裁を教える学校などでは、現在でも針供養をおこなっています。

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