なぜ勉強する必要があるのか?という問いへの知的快楽の永続性の観点からの答え、快楽計算とは何か?⑤
前回書いたように、
快楽計算を構成する基礎的な要素の内の一つである快楽の持続性の概念については、
それが物品や行為そのものから得られる身体的快楽だけでなく、書物や芸術などから得られる知的快楽などの精神的快楽へも適用される場合、永続性の概念とも関わりを持つ概念として捉えられることになります。
つまり、
書物や芸術などから得られる知識や教養としての知的快楽は、消費されたり、時間経過と共に自然に失われてしまう性質のものではない以上、
それは基本的には、一度手に入れてしまえば、当人の一生にわたって永続的に享受し続けることができる種類の快楽であると考えられるということです。
そして、
こうした知的快楽の永続性という観点から、若い時になぜ勉強する必要があるのか?という問いについての一つの答え方がもたらされると考えられることになるのです。
若い時になぜ勉強する必要があるのか?という問いについての知的快楽の永続性の観点からの答え
冒頭で述べたように、
書物などからもたらされる知識や教養としての知的快楽は、それが基本的には永続的な性質を持った快楽である以上、その快楽の効力が及ぶ時間的な範囲は、その人の人生全体ということになります。
しかし、
当然のことながら、新たに獲得した知識や教養は、それを獲得した後の人生全体には活かせても、その前の人生に影響を及ぼすことはできないので、
より正確に言うならば、知識や教養としての知的快楽の効用が及ぶ時間的範囲は、その知識や教養を獲得してから後の人生全体ということになります。
したがって、
知的快楽などの精神的快楽が永続的であるということの実際の意味は、その知的快楽としての知識や教養の効用が及ぶ時間的な長さが、その人の残りの人生の長さに依存するということにあると考えられることになるのです。
例えば、
仮に、ある有益な知識を同様に学ぶことができる人物が二人いたとして、片方の人の年齢が20歳、もう一方の人の年齢が50歳であるとします。
そして、仮に両者が日本人のだいたいの平均寿命である80歳頃まで生きると仮定するならば、
両者がその有益な知識を自分の人生において活用することによってその知識の効用と知的快楽を享受することができる期間は、前者の20歳である人物が残り60年であるのに対して、後者の50歳である人物は残り30年ということになり、
快楽の持続性という観点から見ると、同じ知識の習得においても、50歳の人よりも20歳の人の方が2倍程度大きな効用と知的快楽を享受することができると考えられることになります。
そして、このような観点に立つと、それは、若い時から良く学び、良く勉強し、自分の頭でもそれらの知識について深く考えていくことが大切であることの説明にもつながると考えられることになります。
つまり、
人生全体に永続的に良い影響をもたらし得る同じ知識であっても、持続性という観点から見たその効用と知的快楽の価値の大きさは、その人が重ねていく年齢の大きさに反比例して小さくなっていってしまうので、
新たな知識を学ぶことは、その知識を獲得する学習主体の年齢が若ければ若いほど、そこから得られる効用と知的快楽が大きくなるということが、功利主義における快楽計算という社会科学的な観点からも論証することができるということです。
このように、
子供の「なぜ勉強する必要があるのか?」という問いについては、こうした知識や教養の効用としての知的快楽の持続性と永続性の観点からも答えを導くことができると考えられることになるのです。
人生において学ぶのに遅すぎるという時はない
もちろん、その一方で、
どんなに年をとった人であっても、その人が今次の瞬間にも死んでしまうというような状況でもない限り、
食べ切ればすぐに終わってしまうような身体的な快楽と比べれば、知識や教養がもたらす永続的な知的快楽は十分に長く効用を保ち続けると考えられることにもなります。
そして、
その人の人生が幸福であったかを決定づける、人生全体の効用と快楽の総決算は、究極的には、その人が死に際して抱いているあらゆる思念や知識、思考のあり方を含めた心の状態そのものにあると考えられることになるので、
そのような人生全体の幸福の総決算に備えて、自らの人生と思考のあり方を吟味し、心身を調えていくうえでも、
人生において学ぶのに遅すぎる時はないというのも、同様に真実であると考えられることになるのです。
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以上のように、
快楽計算を構成する第二の要素である持続性の概念は、知識や教養などから得られる知的快楽に見られるような永続的な快楽へも結びついていく概念であり、
それは、若い時に多く学び、多く勉強することの必要性と価値を論証すると共に、身体的快楽との対比においては、人生において学ぶのに遅すぎるという時はないということを示す根拠となる概念にもなると考えられることになります。
そして、次に、
快楽計算を構成する新たな要素として、同じ時間関係の内で捉えられる快楽の性質であっても、前回と今回にわたって詳しく考察した持続性の概念とは異なる快楽の性質を示す概念である確実性と遠近性という残り二つの要素についての説明が求められることになるのです。
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次回記事:快楽の確実性と予期の快楽の関係と快楽主義と悲観主義の両立、快楽計算とは何か?⑥
前回記事:快楽の持続性とは何か?現存する快楽の時間的な効力の範囲と周期性と永続性の概念への拡張、快楽計算とは何か?④
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