ソフィストと政治家と弁護士と教師の知のあり方の類似点、ソクラテスの無知の知に基づく職業ごとの知の階級のヒエラルキー②
前回書いたように、
ソクラテスの無知の知に基づく知の探究においては、
下図に示すような、政治家から詩人、職人、そして最上位の知のあり方である哲学者における知へと至る一種の知の階層のヒエラルキー構造のようなものを見いだすことができます。
古代アテナイの社会における政治家とソフィストの知の一体化
それでは、なぜ、ソクラテスの知の探究において、政治家やソフィスト、弁護士や教師といった職業における知のあり方が最下層の知のあり方へと位置づけられることになってしまうのか?というと、
それは、ソクラテスが生きていた当時の紀元前5世紀後半のアテナイにおいて、ソクラテスの哲学思想とは敵対関係にあったソフィストたちの思想が広まっていたことに関係があると考えられることになります。
ソフィストの定義については、詳しくは、ソフィストとは何か?のシリーズで考察しましたが、
それは、一言でいうと、古代ギリシアからローマの時代において金銭を対価として市民への教育を行った職業教師全般のことを指す概念ということになります。
そして、
あらゆる知識と教養の教えていく中でも、特に、弁論術と修辞学の教示に重きを置いていたソフィストたちの思想は、
古代民主主義がその発展の極致に達していた当時のアテナイの社会において、人々を演説で魅了し、弁論の力によって国民の支持を集めて国家を導いていく指導者であった政治家たちに広く受け入れられることになり、
政治家とソフィストたちは、共に、普遍的真理の探究よりも人々を説得する弁論術の方を重視する同種の知のあり方を形成していくことになります。
そして、
古代アテナイの社会においては、このような弁論の力を持った雄弁な政治家やソフィストたちが、卓越した知を持つ最も優れた人々として尊敬を集めていたのですが、
そうした一般的な理解に反して、
ソクラテスの無知の知に基づく知の探究においては、彼らの知のあり方は、善美なるものとまったく無関係な知のあり方であるとして切り捨てられ、知の階級の分類では、最下層の知の分類へと貶められてしまうことになるのです。
ソフィストと弁護士と教師の知のあり方の類似点
それでは、なぜ、こうした政治家やソフィストにおける知のあり方が、弁護士や教師といった職業における知のあり方とも同列に扱われることになるのか?というと、それは以下のような議論によります。
まず、
弁護士は、その職業上の立場から、被告人や依頼者が善人であるか悪人であるかに関わらず、被告人や依頼者の利益のために裁判官や陪審員を説得することを自らの弁論の力によって試みることになるので、
その知のあり方は、善悪や真理よりも論駁や説得を重視する古代ギリシアのソフィストたちにおける知のあり方と極めて類似した関係にあると考えられることになります。
また、
そもそもソフィストは、金銭を対価として市民に知識と教養を教えるという職業教師の原型となる職業であったと考えられるので、
その教育のあり方は現代における教育のあり方とは大きく異なる点が多いとはいえ、少なくとも言葉の定義上の形式的な関係においては、教師という職業も、ソフィストと類似した関係にあると考えられることになるのです。
詩人と職人の知のあり方に類似する職業
そして、
次の知のあり方の階層の分類である詩人の知のあり方に類する職業については、詩人は自らの天性の感性や直感を通じて善美なるものを表現していると考えられるので、
それと同様に、自らの超人的な直感にしたがって未来を予知する予言者や、ある種の神的な直感を通じて善美なるものである神の啓示を受け取っていると考えられる預言者や神官、宗教家などにおける知のあり方も詩人における知のあり方と同列に挙げられることになります。
そして、
哲学者を除く通常の職業における知のあり方の分類においては最上位に位置する職人や手工業者の知のあり方に類する職業については、
ソクラテスにおいて、これらの職業を営む人々は、人々の生活をより良いものにするのに役立つ善美なるものについての部分的な知を持っているとされているので、
例えば、
職人や手工業者たちと同様に人々の生活をより良いものにすることに貢献していると考えられる農業従事者や料理人、さらには、医者、看護師や消防士といった
人々の生活や命に直接関わる実用的な知識を持っているその他の多くの職業における知のあり方が職人における知のあり方と同列に挙げられると考えられることになるのです。
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以上のような形で、
ソクラテスの無知の知に基づく、政治家から詩人、職人、そして、哲学者へと至るそれぞれの職業における知のあり方の分類と
上記の三つの職業における知のあり方に類似する他の職業における知のあり方との関係が説明されることになります。
それでは、
そうしたすべての職業における知のあり方の頂点に立つのが哲学者における知のあり方であり、その知のあり方こそが、人間にとって至高の知のあり方であるということは、
職業自体についても、哲学者こそが、政治家や弁護士や教師、詩人や宗教家、そして、職人や手工業者、農業従事者、医者といったこれらの職業のすべてに対して上に立つ、この世界で最も優れた職業であるということが主張されているのか?というと、
次回書くように、どうも必ずしもそういうわけではないと考えられることになるのです。
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次回記事:職業としての哲学者と生き方そして人格そのものとしての哲学の知、ソクラテスの無知の知に基づく職業ごとの知の階級のヒエラルキー③
前回記事:ソクラテスの無知の知に基づく職業ごとの知の階級のヒエラルキー①
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