ローマ人とラテン人の違いとは?二つの民族の由来と地理上の関係

前回書いたように、

ラテン人ローマ人といった
イタリア系諸民族のルーツはすべて

インド・ヨーロッパ語族系民族の
イタリック人にまでさかのぼることができます。

そして、

彼らがイタリア半島全体へと分散していくなかで、
ラテン人ローマ人が現れていくことになるのですが、

そもそも、ラテン人とローマ人とは、
具体的にどのような地理的関係にあるどのような民族であり、
ラテン人とローマ人というそれぞれの語の由来はどこにあるのでしょうか?

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ラティウム地方の地理的関係とラテン人の宗教的都市同盟

紀元前2000年頃から大規模な移動を開始した
インド・ヨーロッパ語族の一派であるイタリック人は、
アルプス山脈を越えてイタリア半島へと入り、

紀元前1000年頃までに
ギリシア人植民都市があるイタリア半島南部を除く
イタリア半島全域へとその勢力を広げていくことになりますが、

この時期に、

イタリック人からのラテン人の分化も進んでいき、
ラテン人としての独自の文化圏が形成されていくことになります。

紀元前5世紀頃のイタリック人とラテン人の勢力範囲

そもそも、ラテン人(ラテン語ではLatini、英語ではLatinsとは、

イタリア半島中西部のラティウム地方Latium
に住んでいた人々のことを指す概念ですが、

このラティウム地方は、

南北を全長1200kmにわたる長大な山脈であるアペニン山脈に貫かれ、
ほぼ全域にわたって山がちな地形が多いイタリア半島のなかでは珍しく
平野部が多い草原地帯となっていて、

火山性土壌の肥沃な土地も多い
比較的住みやすい風土となっていました。

しかし、

豊かであるがゆえに、周辺部族の侵攻の的ともなりやすく、

ラティウム地方は、

北方のエトルリア人東方のウンブリア人やサビニ人
南方のカンパニア人などとの間で常に抗争が絶えない地域ともなっていました。

そこで、

この地に住むラテン人たちは、
こうした周辺部族との抗争に備えるために、

ラテン人諸都市の間で、
ユピテル・ラティアリス神を民族神とする
緩やかな宗教的結合に基づく都市同盟を形成し、

平時は、各都市で別々の独立した王政をしきながら、
有事には、団結して周辺部族からの侵略に対抗するという形で、
ラテン人という民族としての存続を図っていったのです。

ラティウムの由来

また、

ラティウムという語の由来に関しては、

ラテン語のlatusラトゥス広い広大な
という言葉から来たという説と、

同じくラテン語のlatensラテンス隠れている潜在する、英語ではlatent
から来たという説の二つの説があるのですが、

いずれの説も、

山岳地帯に囲まれた広い平野という
ラティウム地方の風土に由来する語源であると考えられます。

つまり、

ラティウムという言葉の意味を
その元の語源までたどると、

それは、単に、
広大な広い平野という意味、

または、

険しい山脈に囲まれ、その間に隠された約束の地

といった意味に行き着くということです。

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ローマ人の由来

一方、

ローマ人(ラテン語:Romani、英語ではRomansの方の語の由来はどうかというと、

ローマ人とは、そのまま、
都市国家ローマに住む人々を指す概念ですが、

古代ローマの建国史では、
紀元前753年の4月21日が
正式なローマ建国の日とされていて、

この日に、
ロムルスRomulus)が初代ローマ王として即位することによって
王政ローマの時代がはじまることになります。

ロムルスは、都市国家ローマの建国者とされる
ロムルスとレムスの双子の兄弟の内の兄の方にあたりますが、

ロムルスとレムスは、のちにローマと呼ばれることになる
自分たちが作り上げた新しい都市の支配権を巡って不和となり、

激しい骨肉の争いを制し、
弟レムスを自らの手で殺し、丘の上に彼を葬ることによって、

兄ロムルスが生き残った唯一の建国者として
初代ローマ王に即位することになるのですが、

この時に、ロムルスとレムスの兄弟が作り上げた新しい都市の名も
兄である初代ロムルス王の名にちなんでローマと名づけられることになります。

つまり、

ローマという語は、

ローマの建国者であり、王政ローマの初代王である
ロムルスの名前に由来するということです。

ローマ人とラテン人の地理上の関係性

そして、地理上の関係においては、

都市国家ローマは、イタリア半島中西部の
ラティウム地方の北西部に位置するのですが、

先述の通り、ラティウム地方に居住していた人々を指して
ラテン人と呼んでいて、

そのラティウム地方の中には
都市国家としてのローマも位置するので、

そういう意味では、
ラテン人とローマ人という二つの概念の関係は、
包含関係にあるということになります。

つまり、地理上の関係においては、

ローマ人とは、ラティウム地方の一角をなす
都市国家ローマに住んでいた人々のことを指す概念であり、

広い意味では、
ローマ人ラテン人の内に含まれることになるということです。

・・・

以上のように、

紀元前1000年頃になると、
ラティウム地方に居住する人々がイタリック人から分化して
ラテン人としての独自の文化圏を形成していき、

緩やかな宗教的結合に基づく都市同盟を形成することによって
ラティウム地方の支配を維持していきます。

そして、

紀元前8世紀か遅くても紀元前7世紀頃になると、
このラティウム地方の北西の一角に
都市国家ローマが建設されることになります。

この時点では、

ローマ人は、ラテン人という民族の一部をなす
ごく小規模の勢力に過ぎないのですが、

その後、

徐々にその勢力を拡大していくにしたがって、
ラティウム地方全体、さらには、イタリア半島全域までもが、
ローマの支配下へと組み入れられていくことになります。

そして、それにともなって、

ローマ人とラテン人という二つの概念の関係性自体が
大きく変化していくことになるのですが、

それについては次回以降、詳しく考えてみたいと思います。

・・・

このシリーズの前回記事:
ローマ人とラテン人の起源とは?イタリック人のヨーロッパ大陸への移動

このシリーズの次回記事:
ローマ人の定義とは何か?三つの構成要素に基づく説明

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