ローマ人の定義とは何か?①三つの構成要素に基づく説明
前回書いたように、
ローマ人とは、古代ローマ建国の段階においては、
イタリア半島の中西部ラティウム地方に住むラテン人の中で、
都市国家ローマに居住する人々を指す概念ということになるのですが、
ローマが王政ローマから共和政ローマ、そして、
帝政ローマへと進展していき、
その支配範囲が広がっていくにしたがって、
単純に、ローマという都市に住む人々だけがローマ人である
とは言えないような状況へと変化していきます。
古代ローマが都市国家から領域国家、そして、
世界帝国へと拡大していくにしたがって、
ローマ人という概念の範囲自体も
大きく変化していくことになるのです。
今回は、こうしたローマ人概念の
具体的な拡大の歴史を追って行く前に、その前提として、
そもそも、
こうしたローマの国家としてのあり方の変遷を通じてもなお、
同一の存在であると言えるローマ人の定義とは何か?
という問題について
改めて考え直しておきたいと思います。
ローマ人とは何か?
ローマ人の定義とは何か?すなわち、
どのような条件と性質を持った人々がローマ人と言えるのか?
という問題について改めて考えてみると、
それは、以下のようになると考えられます。
まず、
紀元前8~7世紀のローマ建国当時に
イタリア半島に居住していた人々は、
大枠としての民族のくくりにおいては、
インド・ヨーロッパ語族の一派である
イタリック人に由来する人々が多数を占めていたので、
髪や目、肌の色や骨格や体格の違いといった
人種的な違いによって民族を区分することはほとんどできません。
したがって、
それ以外の文化的要素や、政治的・法的な規定、
人々自身の帰属意識といった要素から
ローマ人という一つの民族の定義を定めることが
必要となります。
古代ローマの文化とローマ市民権
より具体的に言うと、
文化的要素というのは、
例えば、ラテン語を話し、
ローマ神話の神々を尊重し、
概してローマ風に建築された家に住み、
ローマ風の衣服を身につける人々が
古代ローマの文化圏に属する人々ということになりますし、
政治的・法的規定については、
一義的には、古代ローマの法律によって
ローマ市民権を有すると認められた人々がローマ人
ということになるでしょう。
ローマ市民権とは、
ローマの立法機関である民会における
選挙権や被選挙権を有し、ローマの法律によって保護され、
ローマ軍の兵士そして国を守る権利と義務を持つといった
法的な資格のことを意味します。
人々自身の帰属意識に基づく自己決定
それに対して、
人々自身の帰属意識というのは
具体的な指標で捉えることは難しいのですが、
ローマの支配下に入り、
その文化の中で生活を営んでいるとしても、
それを心の底ではあまり快いものとは思っておらず、
いずれはその支配を覆して、自分たちの国を新たに築きたい
などと考えている場合は、
そうした人々は、その人々自身の帰属意識においては、
ローマ人であるとは決して言えないことになります。
例えば、
ゲルマン民族は、ローマと接触した当初は、
ローマ帝国内にも居住するようになり、
ラテン語を話し、ローマ風の生活を営み、
一部は、ローマの軍人や役人にまでなっていくのですが、
帝政ローマの末期になると、
帝国に対して連鎖的に反旗を翻し、
最終的にはその力によってローマ帝国を滅ぼすことになるので、
自分自身がローマ人であるという帰属意識を十分には持っていなかった
と考えられるようにです。
彼らは、ローマの支配地域に居住し、当時は、
一見その文化に溶け込んでいるように見えていたとしても、
それぞれが属していたゲルマン諸部族への帰属意識を捨て去っておらず、
本当の意味ではローマ人とは言えない人々であったということになるのです。
いずれにせよ、
ある人々がローマ人であるためには、
その人々が言語や宗教などの面で
ローマの文化圏に属していて、
政治的・法的な規定においてローマ人とされることなどが
前提として必要となりますが、
そこに、自分がローマ人であるという自覚、
自分自身がローマ人であるという自己決定の意志が加わってはじめて
その人々自身がローマ人であることが
明確に確定することになるのです。
・・・
以上のように、
ローマ人とは何か?という問いについては、
ローマの文化圏に属し、
ローマの法律によってローマ人とみなされ、しかも、
自分自身がローマ人であるという帰属意識を互いに有するという
三つの構成要素をすべて満たす人々が
ローマ人であるということになるのです。
・・・
このシリーズの前回記事:
ローマ人とラテン人の違いとは?二つの民族の由来と地理上の関係
このシリーズの次回記事:
ローマ人の定義とは何か?②ローマ人概念の拡大の歴史
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