ノビレス(新貴族)の勢力拡大とクリエンテラの絆、共和政ローマにおける平民の台頭②
前回書いたように、
共和政ローマでは、
貴族(Patricii、パトリキ)と平民(plebs、プレブス)との間の
200年間にわたる身分闘争を通じて、
徐々に、護民官と平民会といった
平民の権利を擁護し、その立場を代表する機関が整備されていき、
十二表法、リキニウス・セクスティウス法、ホルテンシウス法
といった法制度の面からも、
貴族と平民との間での
法的平等性と身分対等性が確立されていくことになります。
そして、
そうした平民の地位の向上と権利の拡大を背景とする
自由な経済活動の中で、
平民階級の人々も、自分の能力を自由に発揮して、
富を蓄え、生活を向上させていくようになっていきます。
ノビレス(新貴族)の勢力拡大と政治集団としての党派の形成
しかし、
平民階級の地位の向上と経済的発展は、
必ずしも、貴族と平民が合わさり、
富と地位が平準化されるといった結果はもたらさず、
それはむしろ、
平民の中で有能であり、かつ、成功の機会をつかんだ者たちが新たな富裕層として台頭し、
それぞれの地区の有力者として一定の地位を得ることによって、
新たな貴族として既存の貴族に加わるという
貴族層に厚みをもたらす方向へと働いていくことになります。
平民階級の有力者・富裕層と旧来の貴族層が
融合する形で形成された新たな貴族層は
ノビレス(Nobiles、新貴族)と呼ばれるようになり、
以降は、このノビレス(新貴族)という階級に属する人々が中核となり、
国家としてのローマを政治的にも軍事的にも牽引していくことになります。
そして、
平民階級出身のノビレス(新貴族)たちは、
新たに手にした自分たちの権利と権益を守り、
政治的発言力を増していくために、
親戚関係や、利害関係、さらには、政治的立場の相違などに応じて
それぞれに集まって団体や組織を形成していき、
政治的集団としての党派を組むことによって、
政治活動を営んでいくことになるのです。
クリエンテラの絆と党派の軍事集団化
そして、
それぞれの党派では、
党派の内部における結束を強め、
その勢力の拡大と充実を図っていくために、
党派のリーダーや上層部に属する富裕層の有力者たちと
同じ党派に属する有能なメンバーたちとの間で
クリエンテラと呼ばれる
独特の人間的なつながりが形成されていくことになります。
クリエンテラ(clientela、文化人類学などではパトロネジ(patronage)とも言う)
とは、
パトロヌス(patronus、英語ではパトロン(patron)、後援者)と呼ばれる
裕福な有力者が
クリエンテス(clientes、被護者)と呼ばれる
有能ではあるが、地位や経済力を持たない同志たちを
財力や地位などの面で援助し、
クリエンテスの側もパトロヌスに対して、
選挙運動や身辺の警護など様々な面で助力するという
私的な庇護関係と相互扶助関係が合わさった
人間的な連帯関係を示す概念なのですが、
財力を蓄えた有力者であるパトロヌスは、
有能な人材を見いだした場合には、
自分の個人的な利害関係を超えてでも
彼らを援助することを自らの名誉としていて、
援助を受けるクリエンテスの側も、
その期待に応えて、自分の能力を最大限に働かせ、
党派の発展と国家のために尽くすことを自らの義務としたので、
パトロヌスとクリエンテスの間では、
金銭的な利害関係を超えた
人間的な深い絆が形成されていくことになります。
例えば、
恩義のあるパトロヌスが政治的な窮地に立たされた場合は、
本来、援助を受ける側であるはずのクリエンテスの側から
パトロヌスへ金銭を送ることもあったように、
パトロヌスとクリエンテスとの間には、
金銭的な援助関係が介在するとはいえ、
それは同時に、
単なる利害関係を超えた
深い信頼関係に基づく人間同士の絆としても
機能するようになっていったのです。
そして、
パトロヌス(後援者)とクリエンテス(被護者)の間の
深い人間的なつながりとしてのクリエンテラは、
庇護者であり、後援者であるパトロヌスのためには、
自らの命も捧げてでも忠誠を尽くすという
党派内の強い結束力を形成する源ともなっていきます。
それぞれの党派は、
クリエンテラという人間的な深い絆を原動力とすることによって、
時代を経るごとに、その結束力を強めていき、
それは、単なる政治集団だけにはとどまらずに、
党派とその指導者に忠誠を誓う独自の軍隊を持った
軍事的集団をも兼ねる存在へと発展していくことになるのです。
・・・
カエサル台頭の基盤としてのクリエンテラ
ちなみに、
時期としては大分後の時代となりますが、
共和政ローマの末期になると、
こうした党派集団は、次第に、
現代のアメリカにおける
民主党と共和党の二大政党の対立のように、
マリウスを中心とする民衆派(平民派)と、
スラを中心とする閥族派(元老院派)という
二つの系統の派閥へと集約していくことになります。
そして、
民衆派と閥族派は、それぞれに互いの派閥の構成員を募って
党派対立を強めていくことになるのですが、
そのようななか、
「賽は投げられた」や、「ブルータス、お前もか 」といった名言でも知られる
古代ローマで最も有名な政治家、軍人であるユリウス・カエサルも、
軍事集団化していく党派と
クリエンテラに基づく強い絆で結ばれた人間関係のなかで、
その頭角を現していくことになります。
マリウスを義理の叔父とするカエサルは、
はじめは、民衆派中心とする有力者たちの後援を受けつつ、
その能力を十分に生かして活動を広げていくことになるのですが、
後には、
自らがパトロヌス(後援者)となり、
自分に付き従い行動を共にする兵士たちに金銭的な援助を与え、
クリエンテラの関係を結ぶことによって、
私的な信頼関係に基づき、
短期的な利害関係を超えて自分に付き従う
強い結束力を持った政治的・軍事的集団
を形成していくことになります。
そして、
のちに、カエサルは、
閥族派のスラの配下でもあったポンペイウスと敵対し、
一度は、反逆者としてローマ自体に剣を向けなければならないという
窮地に陥ることになるのですが、
そのような時にあっても、
クリエンテラに基づく強い絆によって結ばれた
カエサル配下の兵士たちは、
目先の利害関係に惑わされてカエサルを見捨てることなく、
「賽は投げられた」と檄を飛ばし、ルビコン川を渡って
いざローマへ攻め入ろうとするカエサルと最後まで行動を共にし、
カエサルが終身独裁官へと一気にのし上がり、
ローマの全権力をその手中に収めるまでに至る
大きな原動力となっていったと考えられるのです。
・・・
以上のように、
ノビレス(新貴族)の台頭と、
クリエンテラに基づく党派内、そして軍人同士の強い絆の形成は、
のちに、ローマを地中海世界全体を支配する世界帝国へと押し上げていく
大きな原動力となっていくと考えられるのですが、
共和制ローマの前半期においては、
平民階級の台頭と、穏やかで着実な経済発展を背景として、
こうしたノビレス(新貴族)の勢力拡大と
クリエンテラに基づく結束力の強化が新たに加わっていくことによって、
ローマによるイタリア半島統一が
進んでいくことになるのです。
・・・
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このシリーズの前回記事:三つの法と二つの機関による平民と貴族の身分闘争の展開、共和政ローマにおける平民の台頭①