三つの法と二つの機関による平民と貴族の身分闘争の展開、共和政ローマにおける平民の台頭①

悲劇の人ルクレティアの死を一つのきっかけとして
エトルリア人王政の打破へと立ち上がったローマ市民は、

第7代ローマ王であり、エトルリア人であった
タルクィニウス・スペルブスの軍隊を破り、

タルクィニウス王の一族はローマから追放され、
ついにローマは、エトルリアによる支配から解放されることになります。

そして、

紀元前509年、この戦いを主導した
ルクレティアの夫コラティヌスと、
その友ユニウス・ブルトゥスの二人が

初代コンスルconsul執政官、共和政ローマにおいて内政上の最高決定権、軍事上の最高指揮権を持つ最高官職)に就任することにより、

共和政ローマの時代が始まることになります。

その後、

都市国家としての自立した歩みを開始した
共和政ローマは、

国家としての自立と安定を確保するために
隣接する諸地域へとその支配を拡大していくことになるのですが、

そうした共和政ローマの勢力拡大の原動力には、
平民の台頭と、クリエンテラと呼ばれる私的な人間関係の絆に基づく
強い結束力の存在があったと考えられます。

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平民の擁護者、護民官と平民会

ローマでは、王政ローマの時代から、
パトリキPatricii、貴族、エリート層、)と呼ばれる貴族階級と、
プレブスplebs、庶民、二級市民)と呼ばれる平民階級との間での
身分対立があり、

ローマから王が放逐された
共和政ローマの時代になると、

こうした貴族平民との間での
身分闘争がより激しくなっていき、

新生ローマは、早くも内部分裂の危機を
迎えてしまうことになります。

そうしたなか、

まずは、紀元前494年

護民官tribunus plebis (トゥリブヌス・プレビス)、執政官(コンスル)に対応して、常に定員二人が選ばれる)と呼ばれる役職が新たに設置されることとなり、

彼らには、平民の立場を擁護する政治的権利が与えられ、
平民と貴族との間の利害関係の折衝役を担うことになります。

そして、そのすぐ後には、

平民会と呼ばれる
もともとは、平民(プレブス)たちが自主的に集まった
私的な会合に過ぎなかった組織に、

公的な民会(古代ローマにおいて立法を担う機関)
としての地位が与えられることとなり、

護民官平民会は、
平民階級を代表する二つの機関として、
ローマの政治運営に強く関与していくことになるのです。

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三つの法の制定と身分闘争の終結

一方、法制度の整備においては、

紀元前450年頃
十二表法と呼ばれる
古代ローマ最古の成文法(文章による表記によって定められた法)
が制定されることにより、

貴族によって恣意的に法律が運用させることがなくなり、
平民も貴族も、成文化された同じ法の下で平等に扱うという
法治国家としての基礎が定められることになります。

さらに、

紀元前367年
当時の護民官であったリキニウスとセクスティウスの二人によって
リキニウス・セクスティウス法が制定されることにより、

共和政ローマにおける最高官職である
コンスル執政官)の定員二人のうち
少なくとも一人は平民から選出することが定められ、

平民階級は、国家の最高権力者としての地位をも
獲得することになります。

また、リキニウス・セクスティウス法には、
こうした政治面における規定だけではなく、
経済面における規定もあり、

そこでは、国民一人当たり使用できる土地の広さを
500ユゲラ約125ヘクタールまでに制限すると定められていて、

貴族による大土地所有を制限することにより、
平民と貴族の間での貧富の格差拡大を制限する内容となっています。

ちなみに、

国土地理院の平成27年のデータによると、
日本で一番面積の小さい市区町村は富山県舟橋村の
347ヘクタールとなっているので、

500ユゲラ(125ヘクタール)というのは、
日本で一番小さい市区町村の3分の1くらいの広さということになります。

そして、さらに、

紀元前287年
ホルテンシウス法が制定されると、

平民会の決議が元老院による承認を必要とせずに、
直接ローマの国法として認められることになり、

平民会は、共和政ローマにおいて立法を担う
独立した最高議決機関としての地位を獲得することになります。

そして、これにより、

貴族パトリキ)と平民プレブス)の間の
法的平等性身分対等性が確立されることになり、

国家としての共和政ローマの内部における
貴族と平民との間の200年間におよぶ身分闘争の歴史が
その終結を迎えることになるのです。

・・・

しかし、

こうした貴族と平民との間での政治的平等性に基づく
自由な経済活動と、それによってもたらされる社会変化は、

必ずしも、貴族が有する富が平民全体へと分配されるという
富と地位の平準化という方向へは向かって行かず、

それはむしろ、

ノビレス新貴族)という新しい階層や、
クリエンテラと呼ばれる古代ローマ独特の人間関係に基づく
新たな政治的・軍事的集団を生んでいくこととなるのです。

・・・

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関連シリーズの前回記事:高潔なるルクレティアの悲劇とエトルリア人王の追放、古代ローマ建国史⑥

このシリーズの次回記事:ノビレス(新貴族)の勢力拡大とクリエンテラの絆、共和政ローマにおける平民の台頭②

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