絵画の中のルクレティアとルネサンス期のドイツ人画家クラーナハ
前回書いたように、
都市国家ローマが王政から共和政へと転換していく
原動力の一つには、
ルクレティア(Lucretia)という一人の女性の悲劇があった
と考えられるのですが、
こうした彼女の悲劇と、その死に臨む高潔な姿は、
ルネサンス期を中心とする絵画の一大テーマ、
作者に創作のインスピレーションを与える
一つのモチーフ(motif、創作の動機となる思想や題材)
ともなっています。
ルネサンス期の絵画のモチーフとしてルクレティア
そもそも、
なぜ、古代ローマのルクレティアの物語が
近代ルネサンス期の絵画のモチーフとして選ばれるようになったのか?
ということですが、
それは、近代におけるルネサンスという
学問・芸術上の運動の広がり方にその理由を見いだすことができます。
ルネサンス(Renaissance)とは、14世紀のイタリアにはじまり、
16世紀頃までにヨーロッパ全土へと展開した
文化運動のことを示す概念ですが、
それは、日本ではかつて
文芸復興とも言われていたように、
それまでのカトリック教会中心の
キリスト教的世界観を相対化し、
古代ギリシア・ローマの思想や文化を復興させて
近代の世界に甦らせることによって、
人間性と個性を自由に花開かせることを
目指した運動であったと考えられます。
そして、
ルクレティアの物語は、まさにそうした古代ローマにおける
一人のローマ人女性の人間性と生き様を描いた悲劇であり、
ルネサンスにおける
古代ギリシア・ローマの古典文化の復興運動という側面と
ぴったり合致することになるので、
彼女の姿が、近代ルネサンス期の絵画における一つのモチーフとして
選ばれるようになったと考えられるのです。
そして、
ルネサンス運動が標榜する
自由と個性、人間性の精神が示す通り、
ルネサンス期の画家たちが描くルクレティアの姿も
それぞれの作者によって描き方が大きく異なっていきます。
例えば、
『春』『ヴィーナスの誕生』で有名なボッティチェリや、
同じくルネサンス期のイタリアの画家ティツィアーノやロレンツォ・ロット、
17世紀イタリアの女性画家アルテミジア・ジェンティレスキ、
さらには、『夜警』などの光と影のコントラストを強調して描く技法を用いた作品で有名な17世紀オランダの画家レンブラントなども
それぞれが独特の描き方で
様々なルクレティアを描いているのですが、
そうした絵画の具体的な構図においても
宗教や道徳による束縛から解放されて、
彼女を襲うセクストゥスの暴力性が強調される構図や、
ルクレティアの恐怖や哀れさが強調される構図、
その美しい肢体へと焦点が当てられる構図など、
自由に描かれるようになっていきます。
そして、そうしたなかでも、
ひときわ異彩を放つ姿で
ルクレティアが描かれている作品として
ルーカス・クラーナハ(または、ルーカス・クラナッハ、Lucas Cranach the Elder、1472年~1553年)の1533年作の「ルクレティア」(Lucretia)
が挙げられます。
ルーカス・クラーナハが描くルクレティアの姿
ルーカス・クラーナハは、
マルティン・ルターの肖像画などを描いたことで有名な
ルネサンス期のドイツの画家ですが、
彼は、その生涯の内に、
30点近くのルクレティアを題材にした絵画を描いています。※
※“Category:Lucretia by Lucas Cranach (I)”(wikimedia commons)
(「1533年のルクレティア」も含めてクラーナハ作の「ルクレティア」の絵が数多くまとめて掲載されています。このサイトのリストなかでは、
“Lucretia – WGA05633.jpg”と書いてあるのが「1533年のルクレティア」です。)
クラーナハが描くルクレティアを題材とした絵画はすべて
若い女性が半裸の状態で自らの胸に短剣を突きつけた姿で立つ
という一貫した構図で描かれているのですが、
画面の中央に描かれた女性の姿勢や手足の位置、
突きつけられた短剣の向きと角度、
そして、微細ではあるが作者の意図を感じさせる表情
などがそれぞれの作品で異なっていて、
そうした描かれ方の変化の中に、
その絵画を描いたそれぞれの時期における
クラーナハ自身の心の中のルクレティア像の変化を見いだすことができます。
なお、
クラーナハの「1533年のルクレティア」は、
現在、ドイツのベルリン美術館群の内の「絵画館」
に所蔵されていて、
以前には、上野の国立西洋美術館で2012年に開催されていた
「ベルリン国立美術館展」で来日したこともある作品です。
ちなみに、その同じ国立西洋美術館では、
ルーカス・クラーナハその人に焦点を当てた大回顧展である
「クラーナハ展」が2016年の秋に開催されることになっています。
・・・
それでは、話をもとに戻しまして、
クラーナハの「1533年のルクレティア」についてですが、
この作品のルクレティアは、
クラーナハが描くルクレティアの基本的な構図には忠実に従っていて、
画面全体に、下半身に透明な細いベールが張られただけの
ほとんど全裸に近い状態で立つ、若い女性の姿が描かれ、
画面の左側では、彼女が右手に握る短剣が
静かに下から差し出され、その刃先は心臓の位置を指し示すかのように
真っ直ぐと自分の胸へと突きつけられています。
刃渡り30センチはあろうかという
かなり長大で鋭利な短剣を自らの胸に突きつけているにもかかわらず、
彼女は、そのことにはまったく興味がない様子で、
その視線は短剣とは正反対の方向の虚空へと放たれています。
少なくても、その姿勢と表情からは、
これから訪れる死への恐怖や、
自分がほとんど裸でいることへの恥ずかしさ
といった感情を読み取ることはできません。
写実的な女性の裸体と、鋭利な短剣の構図の中に、
一見すると仏頂面にも見えるような
お世辞にも美しいとは言えない無表情な顔が介在するところに
妙なアンバランスさを感じさせる作品となっています。
彼女のまなざしは、鑑賞者のいる空間を意識する方向へと
投げかけられてはいるのですが、
その視線は、彼女から見て左上方の虚空へと放たれていて、
決して、鑑賞者の視線と交わることはありません。
そして、
クラーナハが描く、この一見無表情にも見える
ルクレティアの何とも言えない微細な表情からは、
決意、不動の意志、諦め、悟り、
さらには、ある種の静かな挑戦的な意志まで、
鑑賞者の視点と感性に応じて
様々な心理を感じとることができます。
以上のように、
クラーナハが描く
「1533年のルクレティア」は、
レオナルド・ダ・ヴィンチが描く
モナリザの微笑みとまではいきませんが、
その作品を見つめ、
絵画との対話を繰り返していくうちに、
作品を見る人自身の心の動きに合わせて
多彩な表情や感情を投げ返してくる
深みのある作品となっています。
・・・
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