高潔なるルクレティアの悲劇とエトルリア人王の追放、古代ローマ建国史⑥
「傲慢王」と呼ばれたエトルリア人王
タルクィニウス・スペルブスの治世において、
ローマは、
エトルリアの属国にも等しい状態へと陥り、
ローマ人という独立した民族としての誇りをも見失いかける
不自由で抑圧された時代が訪れることになります。
そうした民族としての苦難の時代の中で、
ローマ市民がローマ人としての誇りに目覚め、
エトルリア人王政の打破へと一気に立ち上がる
国家としてのローマの大きな転換点が
訪れることになるのですが、
そうした転換点のきっかけは、
ルクレティアという
一人の女性の悲劇によってもたらされることになります。
高潔なるローマ人ルクレティアの悲劇
ルクレティア(Lucretia、イタリア語ではルクレツィア(Lucrezia ))は、
誠実で実直なローマ軍人コラティヌスを夫に持ち、
質素な暮らしではありましたが、
二人で充実した心豊かな暮らしを営んでいました。
あるとき、
夫コラティヌスを含むローマの男たちが
スペルブス王の命に従って従軍し、ローマの町から出払うと、
貴族の女たちが夫がいない間に
宴会を開いたり、贅沢をしたりして羽を伸ばすなか、
ルクレティアは一人、夫の無事を祈りながら
二人の家で夫の留守を守っていました。
一方、
ローマ軍の陣中では、男たちの間で、
自分たちの従軍中に妻たちはどのような暮らしをしているのかという
妻の美徳と貞淑さについて話題にのぼり、
スペルブス王の息子であり、ローマ軍の大将格でもあった
セクストゥス・タルクィニウス(Sextus Tarquinius)は、
余興も兼ねて、配下のローマ軍人たちを連れて
ローマ市内へと繰り出し、密かに妻たちの様子を盗み見ることにします。
案の定、彼らは自分たちの留守中に羽目を外して騒いでいる
妻たちの姿を目にすることになるのですが、
そのようななか、
町はずれで、一人静かに糸を紡ぎ、
針仕事をしながら夫の帰りを待っている
ルクレティアの姿が彼らの目にとまることになります。
まともなローマの男たちは、
彼女の貞淑で愛情深い姿にただただ感心して
ルクレティアとその夫コラティヌスのことを褒めそやし、
二人のことを少しうらやましく思うと同時に、
自分たちも彼らのような幸せな夫婦関係を築きたいものだと
彼女に尊敬に近い思いすら抱くのですが、
父親にも増して放埓で傲慢な性格であるセクストゥスだけは、
このとき、みなとは異なる感情をルクレティアに対して抱き、
密かにその邪悪なる情念に火を灯すことになるのです。
数日後、戦争の最中であるにもかかわらず、
セクストゥスはその陣中を一人抜け出してローマへと戻り、
ルクレティアのもとを訪ねて、彼女の家の中へと押し入ります。
貞淑な妻ルクレティアは、
好色で傲慢なセクストゥスの不埒な申し出を堅く拒み、
それでも男に強引に迫られると、
懐から短剣を取り出して、
辱めを受けるくらいなら
いっそ自ら命を絶ってしまおうとするのですが、
ここで、ただ好色で粗暴であるだけでなく、
狡猾で邪悪でもあるセクストゥスは、
もし、彼女が自分のことを拒んで命を絶つならば、
死んだ後で、その傍らに裸の奴隷の死体を置き、
彼女は、奴隷男を買って自らの寝室に招き入れ、その姿を目にした自分が
両者を正義のために切り捨てたと言い触らすだろう
と言うのです。
そうすれば、
ルクレティアの名誉は、夫の留守中に奴隷男と姦通したうえに、
それを王の息子に見咎められ、裸のまま切り捨てられた女として最大限に辱められ、
彼女と共に夫コラティヌスの名も地に落ちることになる
というわけです。
例えば、
男女関係は逆転しますが、
旧約聖書の「創世記」に登場し、
イスラエルを飢饉から救うことになる
ヤコブの子ヨセフ(Joseph)も、
エジプト王宮の侍従長のもとに仕えていた時に、
その妻からの誘惑に合い、これを堅く拒みます。
しかし、
それを逆恨みした侍従長の妻から、
反対に、ヨセフの方から自分に言い寄ってきて、
寝床で襲われそうになったという濡れ衣を着せられてしまい、
彼は、侍従長の妻の不当な計略によって
牢獄へとつながれることになってしまうのです。
このように、男女の関係において、
両者の言い分が異なり、片方が悪意のある嘘をついているとき、
相手の言い分を覆して
自らの潔白を証明することは非常に難しいと考えられるのですが、
そうしたことをすべて見越したうえで、
偽証の計略まで示してルクレティアに関係を迫るセクストゥスの行為は、
この男の狡猾で根深い邪悪さを物語っていると考えられます。
自分ばかりか夫の名誉まで脅しに使わたルクレティアは、
その場ではセクストゥスに屈することを余儀なくされるのですが、
セクストゥスが去った後、彼女は、
すぐに自分の夫と父親に宛てて手紙を書き送ります。
そして、
ルクレティアは、
手紙を見て駆けつけた父と夫の目の前で、
堂々と事の顛末を話したうえで、
自らの言葉に偽りがないことの確実な証しを立てるために、
最後に、短剣で自分の胸を貫き、その命を絶つことによって、
自ら悲劇の幕を閉じることになるのです。
彼女がもし、
合意の上で不倫の関係を結んだとするならば、
そのことを自分から夫と父親の前で打ち明けることなど
あり得ないわけですし、
あるいは、もし、
合意とは言えないまでも、相手のことをそれほど強くは拒まず、
結果として流れに身を任せるような形で関係を結んだとするならば、
その後、断固たる決意によって自ら命を絶つことなど
あり得ないことになります。
つまり、
彼女は、自らの潔白を、過剰と言ってもいいほどの
最も確実で徹底的な方法によって証明した
ということになるのです。
ルクレティアの死と、ローマの共和政への歩み
ルクレティアの死はもちろん
残酷な結末を迎える一つの悲劇ではあるのですが、
その身を邪悪で狡猾なセクストゥスによって汚されながらも、
その心はすべての女性の中で最も気高く、潔白であることを示した
高潔なるローマ人ルクレティアの姿は、
ローマ市民全体の心を強く揺り動かし、
それまで市民を抑圧してきたエトルリア人王政へと反抗する
原動力となっていきます。
ルクレティアの夫コラティヌスは、
その親友ユニウス・ブルトゥスと共に
王政打破のために立ち上がり、
ローマ市民の心に訴えて、
スペルブス王とその息子セクストゥスに対して、
公然と反旗を翻すことになるのです。
怒りに打ち震えるローマ市民軍の前に、
スペルブス王と息子セクストゥスが率いる
エトルリア人王の軍隊は総崩れとなり、
その後、セクストゥスは
ローマ軍の追撃を受けて東へと逃走を図りますが、
敗走する途上で捕えられて処刑され、
ローマ人の手によるルクレティアの復讐が
完遂されることになります。
そして、
ローマにおいてエトルリア人王が追放されたことで
王政ローマが終焉を迎えると、
この戦いの主導者であった
コラティヌスとユニウス・ブルトゥスが
共和政ローマの初代コンスル(consul、執政官、共和政ローマにおいて内政上の最高決定権、軍事上の最高指揮権を持つ最高官職)へと就任し、
二人で新しいローマを率いていくことになるのです。
・・・
以上のように、
ルクレティアという一人の女性の死によって
ローマのエトルリア人による支配は終わりを告げ、
ローマは、ローマ市民による自由な国家である
共和政ローマへと新たに生まれ変わることとなります。
そして、
以上のような、ルクレティアの生き様を見ていると、
彼女は、自らの過酷なる運命を嘆く
単なる悲劇のヒロインというだけでなく、
ローマという一つの国家をも動かす力を持った
強い意志と主体性を持つ女性として描かれているように思います。
ルクレティアは、
自分の身に降りかかった絶望的な悲劇を嘆き、
その思いに打ちのめされて死を選んだわけでは決してなく、
むしろ、
自らの勇気ある行動とその死が
残された家族とローマ市民の力となり、
ローマを新たな栄光ある姿へと導く原動力となる
その行く末を確信したうえで、
自らの行動を誇りながら死んでいったと考えられるのです。
・・・
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