第四次神聖戦争におけるデルポイへのロクリス人の侵入とカイロネイアの戦いへと至るフィリッポス2世のマケドニア軍の侵攻
これまでに書いてきたように、古代ギリシア世界における信仰の中心地にあたる宗教都市であったデルポイの地においては、近隣都市や周辺地域とのあいだで聖域の支配や宗教的な権威をめぐる抗争が起きることによって、
第一回そして第二回と第三回へと続く神聖戦争と呼ばれるギリシア全土の都市国家へと波及していく大規模な宗教戦争が引き起こされていくことになります。
そして、第三回の神聖戦争が終結したあとのギリシア世界においては、すぐに再び都市国家間の緊張が高まっていくことによって、
古代ギリシア史において記録されている最後の神聖戦争である第四次神聖戦争が勃発することになるのです。
デルポイへのロクリス人の侵入と第四次神聖戦争の勃発
第三次神聖戦争がマケドニアのフィリッポス2世の軍勢の介入によって終結したのち、デルポイの周辺地域では、今度は、南方からのロクリス人の侵入によって新たな抗争の火種がもたらされることになります。
古代ギリシア世界においてロクリスと呼ばれる地域は、デルポイが位置するポーキス地方をはさんで北東に位置するロクリス・オプンティアと、南西に位置するロクリス・オゾリスに分立する形で存在していたのですが、
このうちの後者にあたるロクリス・オゾリスと呼ばれる地域に居住していたロクリス人たちがポーキスとの境界を越えてデルポイの南部地域への入植活動を進めていくことになります。
そして、このことがデルポイの聖域を侵略する神に対する冒瀆の罪として問題視されることによって、
第三次神聖戦争が終結してからわずか7年後にあたる紀元前339年に第四次神聖戦争と呼ばれるギリシア世界における新たな宗教戦争が勃発することになるのです。
フィリッポス2世率いるマケドニア軍の侵攻とテーバイ軍による妨害
そして、そうしたなか、ギリシア世界における自らの覇権を確立することを目指していたマケドニアのフィリッポス2世は、こうした第四次神聖戦争におけるロクリスの討伐を口実としてデルポイが位置するギリシア中部への進軍を開始することになります。
そして、こうしたマケドニアの軍勢の進軍をギリシア世界への侵略行為みなしたギリシア中部のボイオティア地方における主要な都市国家であったテーバイは、
マケドニア軍の進軍ルート上に位置していたニカイヤの町を占領して軍を配備することによってギリシア世界へのマケドニアの侵攻を食い止めることを画策することになります。
それに対してその頃、フィリッポス2世率いるマケドニアの軍勢は、かつてペルシア戦争においてスパルタの300人の重装歩兵たちが10万を超えるともいうペルシアの大軍の侵攻を阻んだことで有名なテルモピライの地に布陣していたのですが、
先の第三次神聖戦争における介入において、すでにギリシア本土の地理についての詳細な情報を得ていたマケドニア軍は、テーバイ軍との正面衝突を避ける迂回ルートをとることによって、大きな戦闘を行うこともないまま、そのまますんなりとギリシア中部への侵入を果たしてしまうことになるのです。
アテナイとテーバイの同盟:カイロネイアの戦いへの序章
こうしてマケドニアの軍勢がギリシア中部のボイオティアからアテナイが位置するアッティカ半島へと迫ろうとするなか、
マケドニアのフィリッポス2世によるギリシア世界への侵略からギリシアの都市国家の自治と自立を最後まで守り抜こうとする反マケドニア運動の主導者としての立場にあったアテナイのデモステネスの主導によって、
それまで敵対関係にあったアテナイとテーバイという当時の古代ギリシア世界における二大強国のあいだに軍事同盟が結ばれることになります。
そして、こうしたギリシア世界をめぐる急激な情勢の変化のなか、国王フィリッポス2世自ら率いるマケドニア軍とアテナイとテーバイを中心とするギリシア連合軍は、
両軍の最終決戦が行われることになるテーバイが位置するギリシア中部にあたるボイオティア地方のカイロネイアの地において対峙することになるのです。