スパルタ教育とは何か?古代ギリシアの都市国家スパルタにおける肉体鍛錬と軍事教練を重視する厳しい集団生活と女子教育

前回書いたように、紀元前7世紀ごろに起きた第二次メッセニア戦争後に、戦争による疲弊や市民同士の間での貧富の格差の拡大などによって、一時は無法状態にも近い混乱期へと陥ることになった古代ギリシアの都市国家であるスパルタでは、

その後、リュクルゴスと呼ばれる伝説的な立法者が現れて土地の再分配教育制度の改革などに代表される大規模な国制改革を行うことによって国家の復興とさらなる発展を導いていったと伝えられているのですが、

それでは、こうしたスパルタ教育といった呼び名でも知られている古代ギリシアの都市国家スパルタにおいて確立されていくことになった教育制度の内容は具体的にどのようなものであったと考えられるのでしょうか?

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スパルタ教育における少年たちの厳しい集団生活とタイゲトス山の捨て子

そうすると、まず、

こうしたスパルタ教育という言葉は、現代では主に、子供に対して厳しい規則に基づく心身の鍛錬勤勉な生活を義務づけていく厳格な教育法のことを意味する言葉として用いられることが多いと考えられ、

しばしば、体罰などの過剰な懲罰が加えられることもあるような教育のあり方を非難するような意味でこうしたスパルタ教育という言葉が用いられるケースもあると考えられることになります。

そして、それに対して、

こうしたスパルタ教育の原型となったと考えられる古代ギリシアの都市国家スパルタにおける立法者リュクルゴスによって紀元前7世紀ごろに確立されていくことなったと考えられている教育制度においては、

ヘイロタイと呼ばれる国家共有奴隷農民を使役して彼らの反乱を抑圧すると同時に国防を担う兵士となる強い青少年を育成することが最重要視されていたと考えられることになります。

具体的には、こうした本場のスパルタ教育にあたる古代ギリシアの都市国家スパルタにおける青少年の教育制度は、すでに子供が生まれた瞬間から始まっていたと考えられていて、

スパルタでは男子が誕生すると、長老と呼ばれる国家の指導者層にあたる人物のもとへと送り届けられて体の隅々に至るまで詳しく検査されたうえで、

身体的な障害があるか虚弱体質であると判断された赤ん坊については、スパルタを囲む天然の要害の一つであったタイゲトス山に捨てられることによって、

見殺しにされてしまうことになっていたという姥捨て山ならぬ捨て子山にあたるような慣習もあったと語り伝えられています。

そして、その後、

五体満足であることを認められた子供たちは7歳になった時から集団生活へと入ることを義務づけられていて、

スパルタでの少年たちの集団生活においては、日常生活のために必要な最低限の読み書きのほかは、主に、厳しい肉体鍛錬軍事教練が行われることになっていたと考えられことになります。

また、

こうした集団生活を営むスパルタの少年たちの日常生活においては、夏も冬も粗末なマント一枚だけを着て過ごすことになっていて、食料もわずかしか与えられずに質素な生活を続けていくことによって心身を鍛えていくと同時に、

自分で食べ物を見つけ出し、場合によっては食料を盗んででも生き抜く力を身につけていくことによって厳しい戦場においても生きのびることができるサバイバル能力をも身につけていくことになっていったと考えられることになるのです。

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スパルタにおける女子教育と兵士となった青年たちの兵舎での集団生活

そしてその後、

古代ギリシアでの成年にあたる18歳に達した男子たちは、スパルタ市民として認められることにはなるものの、その後も兵舎における集団生活軍事訓練は続けられていくことになり、

結婚して自分の家を持つようになった後も自宅では食事をとらずに仲間の兵士たちと共同食事をとることが義務づけられることによって軍隊として結束力を強めていくことになっていったと考えられることになります。

また、その一方で、

こうしたスパルタ教育と呼ばれる古代ギリシアの都市国家スパルタにおける教育制度においては、男子への教育だけではなく女子教育にも力が入れられていたと考えられていて、

アテネなどの古代ギリシアのその他の都市国家においては、女性は主に家庭教育によって育てられ、あまり人前に出ることも少なかったと考えられるのに対して、

スパルタにおいては、女子に対しても肉体鍛錬のために集団での体育や運動などの教練が奨励されていたと考えられ、

具体的には、スパルタでは女子教育においても、競走競技円盤投げレスリングなどの競技が広く行われていたと考えられています。

そして、このように、スパルタにおいて肉体の鍛錬を主体とする女子教育が重視されていた理由については、

スパルタでは強い兵士となる男子を産むために母親となる女子についても心身の鍛錬が強く求められていたと考えられるほか、

国家共有の奴隷農民を使役して収穫物を徴収することによって国家が成り立っていたスパルタにおいては、

他国との戦争において男子が兵役へと駆り出されている時には、奴隷たちの反乱を防ぐ役目は国に残る女性たちに任されていたと考えられるため、

そうした戦時における国防といった観点からも、

古代ギリシアのスパルタにおいては、強い兵士を養成すると同時に、心身を鍛えるための女子教育も重視するというスパルタ教育の原型となる教育制度のあり方が形づくられていくことになっていったと考えられることになるのです。

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次回記事:スパルタにおけるクリュプティアの慣習とヘイロタイの殺害の合法化そして戦時における秘密結社としてのクリュプティアの活動

前回記事:リュクルゴスの改革とスパルタ市民への土地の再分配そして国民皆兵の常備軍の創設による国家統制と軍事力の強化

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