古代ギリシア語におけるポリスの二つの意味の違いとプラトンの『ポリテイア』とアリストテレスの『ポリティカ』のポリス観
ドーリア人の侵入によってミケーネ文明が滅亡した後の古代ギリシア世界においては、文書記録がほとんど残されていない400年にもおよぶ暗黒時代が続いていくことになりますが、
こうした暗黒時代とも言われる古代ギリシアの鉄器時代の後に続くアルカイック期とも呼ばれる前古典期においては、シュノイキスモスと呼ばれる集住と共同体の結合が進んでいくことによって、日本語においては都市国家と呼ばれることになるポリスの建設が進んでいくことになります。
そして、こうした古代ギリシア語におけるポリスという言葉は、そうした古代ギリシア世界における社会体制の変化の流れのなかで、その言葉自体が持つ意味合いが大きく変化していった概念であるとも考えられることになります。
古代ギリシア語におけるポリスの二つの意味
そうすると、まず、
こうした古代ギリシア語におけるポリス(πόλις)という言葉は、
もともとは、古代ギリシア語において「小高い丘」「都市の高い場所」といった意味を持つアクロポリス(ἀκρόπολις)という言葉とほぼ同じような意味で用いられていた言葉であったと考えられ、
古代ギリシアにおける暗黒時代までの段階においては、こうしたポリス(πόλις)という言葉は、アクロポリスという言葉と同様に、人々が集住している村落共同体の中心部にある城塞や砦のことを意味する言葉として用いられていたと考えられることになります。
そして、それに対して、
アルカイック期とも呼ばれる前古典期の段階になって、ギリシア人たちの集住化がさらに進んでいき、都市の規模が大きくなっていくと、こうしたアクロポリスと呼ばれる元々のポリスにあたる城塞の周りには、城壁などを備えたさらに一回り大きな都市部が形成されていくことになり、
こうしたアクロポリスと呼ばれる小高い丘に築かれた神殿と、そのふもとに位置するアゴラと呼ばれる広場や市場などを取り囲む城壁に囲まれた都市部、そして、その周辺に広がる市民の所有地や共有地などを含む共同体の全域がポリスと呼ばれるようになっていきます。
つまり、そういった意味では、
こうした古代ギリシア語におけるポリスという言葉は、暗黒時代から前古典期へと至るまでの古代ギリシア世界における社会体制の変化の流れのなかで、
もともとは、都市の中心部に位置する城塞や砦といった物理的な構造物を意味する言葉から、ギリシア人自身が帰属する都市国家や市民集団全体を意味する言葉へとその言葉自体が表す概念の意味合いが大きく変化していくことになっていったと考えられることになるのです。
プラトンの『ポリテイア』とアリストテレスの『ポリティカ』におけるポリス観の違い
また、
こうした古代ギリシア語におけるポリス(πόλις)という言葉からは、その他にも様々な新たな言葉や概念が生み出されていくことになったと考えられ、
例えば、
ポリスに暮らす共同体の参加者にして多くの場合はその共同体の主権者でもあった「市民」たちはポリテース(πολίτης)と呼ばれ、
そうしたポリスにおける社会全体の運営を担っていく中心人物である「政治家」たちはポリティコス(πολιτικός)と呼ばれていくことになります。
そして、
こうした都市国家や市民集団としてのポリスにおける理想の政治体制のあり方は、アテネやスパルタなどが台頭していくことになるその後の古典期のギリシア世界においても学問における最も重要なテーマの一つとなっていくことになり、
古代ギリシア哲学を代表するアテナイの哲学者であるプラトンとアリストテレスは、それぞれ日本語においては『国家』と『政治学』と訳される著作において、こうしたポリスにおける理想の政治体制のあり方を論じていくことになります。
しかし、その一方で、
こうした師弟関係にあったアテナイにおける二人の大哲学者のポリス観や国家観には大きな意見の隔たりがあったと考えられ、
師であるプラトンは、彼自身の著作である日本語では『国家』と訳されることになると『ポリテイア』(Πολιτεία)において、
善のイデアに基づいて私心を持たずに常に公平な判断を行うことができる哲学者を王とする哲人王によるポリスの統治を理想の国家における政治のあり方として位置づけているのに対して、
弟子であるアリストテレスは、彼自身の著作である日本語では『政治学』と訳されることになると『ポリティカ』(Πολιτικά)において、
王政が堕落して僭主政となり、その反動で成立した貴族政が堕落して寡頭政となり、その反動で成立した民主政が堕落して衆愚政となり、その反動で再び王政が成立することになるという政体循環論を説いていくことになるのです。
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