サイコパスとして数値化できない人間の心の内における深淵なる闇の存在と心理学的な概念としてのサイコパスとの関係
前回の記事で書いたように、日本のSFアニメ作品にあたる『PSYCHO-PASS サイコパス』において登場するサイコパスの概念は、
一般的な心理学用語において人間としての自然な感情や罪悪感が欠如している反社会的人格者にあたる精神病質者のことを意味するサイコパス(psychopath)という言葉とは、
英単語としての表記も異なっていれば、それぞれの概念が示す具体的な意味内容も大きく異なる互いに似て非なる概念であると考えられることになります。
それでは、こうした二つの概念は、単にカタカナでの表記が同じであるだけで互いにまったく無関係の概念であるのか?というと必ずしもそういうわけでもなく、
こうした二つのサイコパスの概念の間には、人間の心の奥底にある深淵なる闇の存在へも通じていくことになる別な意味における深い関係性を見いだしていくこともできると考えられることになります。
シビュラシステムの統制のもとに与えられる「通行許可証」としてのサイコパス
そうすると、まず、
日本のアニメ作品にあたる『PSYCHO-PASS サイコパス』のなかに登場するこのアニメ作品における独自の造語としてのサイコパス(PSYCHO-PASS)と呼ばれる新たな概念は、
シビュラシステムと呼ばれるスーパーコンピューターの並列分散処理を中核とする巨大なシステムによって科学的に分析されていくことになる
人間の心におけるあらゆる心理状態や性格傾向さらには犯罪傾向のあり方などを指し示す総体的なデータとしての心の数値のあり方を意味することになります。
そして、
こうしたこの作品の独自の造語としてのサイコパス(PSYCHO-PASS)という言葉が、この言葉自体の語源的な意味においては、
「心理」や「精神」のことを意味するサイコ(psycho)と、「通行許可証」や「証明書」のことを意味するパス(pass)が結びついてできた言葉であると考えられるように、
シビュラシステムは、自らの分析によって導き出された総体的な心の数値が一定の基準を満たす良好な色相の範囲にあると判定された人間たちに対して日本という国家と社会の内に生きる「通行許可証」を与えて、
その人物がシビュラによって通ることを許された道を歩む限り、その人物に最も相応しいと客観的に測定された理想の人生を与えることを保証するのに対して、
そうした心理学的な通行許可証としてのサイコパスの基準を満たさない人々は、犯罪係数が高い潜在犯として社会から排除して隔離施設へと収容していくことによって国家と社会における秩序を維持していると考えられることになるのです。
サイコパスによって数値化することができない人間の心の内における深淵なる闇の存在
そして、
こうしたアニメ作品としての『PSYCHO-PASS サイコパス』の物語のなかでは、そうしたシビュラシステムによる心理状態の測定基準を逃れて、
他者を傷つけるような行為に手を染めながら自らの心理状態を悪化させることがなく犯罪などの道徳的に悪しき行為を遂行していくことができる人間は、
シビュラによって犯罪を含むあらゆる行為を成し遂げることが事実上許されてしまうことになる免罪体質者として位置づけられていくことになるのですが、
こうしたアニメ作品としてのサイコパス(PSYCHO-PASS)のうちで描かれているシビュラシステムによる心の統制から逃れることができる免罪体質者にあたる存在は、
人間としての自然な感情や罪悪感が欠如していることによって、普通の人間には成し遂げることができない大いなる悪事をも平然と成し遂げていくことができる心理学における精神病質者としてのサイコパス(psychopath)と非常によく似た特徴を持つ人々として位置づけられることになると考えられることになります。
そして、そういった意味では、
こうした日本のSFアニメ作品にあたる『PSYCHO-PASS サイコパス』においては、心理学における精神病質者としてのサイコパス(psychopath)の概念にも通じていくことになる
シビュラシステムによって客観的に測定された総体的な心の数値としてのサイコパス(PSYCHO-PASS)によっては決して数値化することができない
人間の心の内における深淵なる闇の姿が描かれているとも考えられることになるのです。
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次回記事:シビュラシステムの由来とは?古代ギリシアのデルポイのアポロン神殿で神託を下す古代の巫女と法の女神テミスとの関係
前回記事:SFアニメの『サイコパス』と心理学における「サイコパス」の違いとは?感情が欠如とした反社会的人格者と総体的な心の数値
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